リヴァイアサン誕生秘話 Malcolm, "The Writing of Leviathan"

Leviathan (The Clarendon Edition of the Works of Thomas Hobbes)

Leviathan (The Clarendon Edition of the Works of Thomas Hobbes)

  • Noel Malcolm, ed. Thomas Hobbes: Leviathan, 3 vols. (Oxford: Clarendon Press, 2012), 1:1–35.

 2012年にだされた『リヴァイアサン』の史上はじめての本格的校訂版の序文を読みはじめる。

 ホッブズがなぜ『リヴァイアサン』(ロンドン、1651年)を書いたのかは難問である。彼が政治理論書を著すこと自体はなんら不思議ではない。事実彼はすでに1642年に『市民論』を書きあげ、47年にはそれを出版していた。だがまさにそのことが『リヴァイアサン』の執筆の説明を難しくする。なぜホッブズはひとつの政治理論書を著した直後に、再び同種の著作を書こうとしたのだろうか。前著とほぼ同じ理論構成をもつ著作をである。

  この問いにこたえるため、まず『リヴァイアサン』がいつごろから書かれたかが検討される。断片的な証拠から判断するに、その構想はパリに亡命中のホッブズが、同地で王党派の人々と交流を開始した1645年4月以降にさかのぼると考えられる。この交流、そしてとりわけチャールズ王子の家庭教師となったことは、これまでフランス知識人とおもに交際していたホッブズの関心をふたたび政治に向けさせることになったと思われる。こうして生まれてきた構想を、本格的な著作の執筆に移行させたのは、1649年の後半(夏の終わりか秋の初めごろ?)であったと推測できる。

 49年というのはきわめて重要な事件が起こった年であった。1月にチャールズ一世が処刑された。その息子チャールズ二世は、反乱サイドから権力の大規模な委譲を求められていた。この状況を念頭において『リヴァイアサン』を、同じく政治理論書である『市民論』と比較すると、興味深い特徴が浮かびあがる。まず『リヴァイアサン』では君主制を擁護する議論が拡充されている。それにともない当時の議会派が展開していた理論を否定する議論がなされている。ここからホッブズイングランドスコットランドの反乱勢力を敵視し、王党派としての立場から『リヴァイアサン』を著していたことがわかる。

 それだけでなく『リヴァイアサン』は王党派内部での対立にたいしても意見を表明している。たとえば主権にとって手放すことが許されない権利はなにか(ホッブズは軍事権は何があっても手放すべきではないと考える)。また仮に一度権利を手放してしまったならばどうなるのか(そのような放棄はそれ自体として無効であり、よって権利の回復が武力の行使をともなってでも達成されねばならないとホッブズは主張する)。これらの点は当時王党派のあいだで議論の焦点となっており、まさにそこに『リヴァイアサン』は重点的な議論をあてるのである。

 『リヴァイアサン』執筆のタイミングを理解するためには、このような問題に対処せねばならない状態にあったチャールズ二世が49年8月にパリに一時的に滞在していることに注目せねばならない。すでに述べたように49年の夏から秋のどこかで、ホッブズは『リヴァイアサン』の執筆を本格化させていた。この符合の意味は重要である。王の主権が危機にさらされているという現状を目のあたりにして、ホッブズは主権のあり方について原理的に考察する『リヴァイアサン』を書きはじめたと考えられるのである。