科学主義と、通底する立場の存在 金山「武谷三男論 科学主義の淵源」

昭和後期の科学思想史

昭和後期の科学思想史

 力作である。武谷三男は著述家としてのその長い経歴のなかで、じつにさまざまな問題について発言してきた。その膨大な著作群を読みとくことで、いくつもの論点を共通してささえている彼の根本的な考え方をあきらかにしている。その考え方とは、「科学主義」である。武谷によれば、人間はがんばって自然のあり方をあきらかにしていけるし、またそうしてきた。ここでの人間というのは、あらゆる制約から自由に、客観的に自然を探求する者を指す。制約とは資本や政治の論理といった「非科学的」な要因である。これは裏をかえせば、経済的・社会的・政治的な要因は科学にとって本質的ではないということである。ここから、武谷には科学を社会的に構成される営みとしてとらえる視点が欠けることになる。また社会的要因への着目の弱さは、科学的に真なる認識を倫理的に善ととらえる短絡を招く。ここからさらに、真なる認識を獲得せんとする科学者のあるべき姿は、ほとんど定義的に善きものとなる。要するに、武谷の著述には科学を批判的に考察する回路がない。以上が、彼の認識論、技術論、原子力に関する立論、そして人権概念の使い方の検討から説得的にしめされる。
 科学主義の検討から外れるのが第9節である。ここで著者は武谷が当時の社会主義国家をどう評価したかを検証し、次のように結論する。武谷は現存する社会主義にある問題は、周囲の資本主義勢力の妨害によるところが大きいと考えていた。この考えは、彼の科学主義と同型である。なぜなら現存の科学によって生じている問題は、非科学的な要因による妨害によると彼は考えていたからである。
 たしかに同型である。ではこの同型性はどう解釈されるべきか。ひとつの見方は、この同型性は偶然の産物とするものだ。現存する社会主義ある問題を資本主義側の干渉に帰責することはある時点まで多くの論者によって行われていた(のではないだろうか?)。武谷もこの見方をとった。それがたまたま彼が科学にたいしてとっていた見解と同型のものであったのだ。
 別の解釈もでき、著者はこちらをとっているように思われる。それは上記の同型性には関係があるとするものである。「科学論・技術論で通底していた彼の認識論的・実践論的立場が、そのまま[社会主義をめぐる]国際情勢をみる上でも持ちこまれている」(41ページ)。
 これはいい加減に読むならば、武谷の科学主義の観点が、その国際情勢論に持ちこまれたと読める。しかし科学の本質について認識と、社会主義の現状認識は別の話であり、前者が後者に直接影響するとは考えにくい。そのようにはおそらく著者も考えていない。なぜならここでは、「科学論・技術論で通底していた彼の認識論的・実践論的立場」と書かれているからである。おそらく著者は次のように主張している。武谷の科学主義の背後には、それをささえるより一般的な理路がある。この理路をたどって国際情勢を論じると、先述の社会主義評価になる。
 もしこの読みが正しいなら、ではその一般的な理路とはなにかが問われるだろう。それはおそらく「なんらかの内的一貫性をそなえた機構は、外部からの妨げがないかぎり、その本来のあり方を達成し、その達成は善である」のようなものとなる。
 この私の解釈が正しいかはわからない。しかし私には、もし上記の同型性のあいだに関係があると主張するならば、科学主義と国際情勢判断をともに支えるこのような非常に一般的な前提の存在を想定せずにはいられない。さらにいえばこのような前提を想定するより、同型性を偶然の産物として説明したほうがよいのではないかと思えてくる。
 本論文は思想史の論文のひとつのモデルとなりうる。大量の史料を読み通したうえで、そこにある一貫した論理をとりだすという手法がみごとに実践されているからだ。くわえて論述の質もきわめて高い。議論の運びは流れるように進む。個々の文章表現にも工夫がなされており読み手を楽しませる。それでいて凝り方が嫌味を感じさせるところまでいかない抑制がある。良質な研究の見本として分野を問わず多くの人にすすめたい。