アレクサンドル・コイレの科学史研究 Murdoch, "Alexandre Koyré and the History of Science in America"

 ハーヴァード大学科学史を教えていたマードックが個人的な回想も踏まえながら、アレクサンデル・コイレの科学史学の特徴を論じた小論です。コイレは科学史の研究と哲学が切っても切れない関係にあると考えていました。彼は現代哲学に通じることが、過去の哲学的問題の扱われ方を論じる際の助けになると学生にアドバイスしていました。しかしそれだけでなく、彼の実践していた科学史研究があるタイプの哲学によって裏打ちされていたという点で、コイレにとって科学史研究と哲学は不可分でした。ブランシュヴィックやメイエルソンの哲学に深く傾倒していたコイレは、概念というのは現実を表現するための単なる道具ではなく、むしろ特定の世界理解に沿って概念は創造されるのだとみなしていました。したがって過去の世界認識を形式を理解するためには、過去のテキストの概念をそのような形式を明らかになるような仕方で分析せねばならないことになります。しばしば誤解のされているのですが、コイレは概念がまったく自律的に存在するとはみなしていませんでした。彼は概念が往時の宗教的・知的コンテキストに深く規定されていることを強調しています。彼が強く否定したのは社会的、制度的なコンテキストが世界認識の形式を説明するということでした。古代ギリシアの社会のあり方はアテナイでなぜ科学が生まれえたかを説明できる。しかしなぜ実際にギリシアで科学が生まれたかは説明できない。彼はさらにそもそもなぜある時点である科学理論が生まれたかは説明できないと考えていました。出来るのはある理論が生み出すような世界認識の形式がある時点で形成されたことをまず知的なソース(哲学者の著作や当時の知的宗教的コンテキスト)を参照しながら概念分析により探り出し、その上でその生成をとりまく社会的コンテキストを参照して、その生成が確かに可能であったことを確かめることだけだというのです。このようなまずは知的なソースの分析を何にもまして優先させることは、少なくとも中世と初期近代の科学史を研究するに当たっては正当な態度であるとマードックはしています。