19世紀、ドイツ、大学の逆襲 Turner, "Prussian Universities," #1

  • Steven Turner, "The Prussian Universities and the Research Imperative, 1806 to 1848" (Ph.D., diss., Princeton University, 1973), 1–19.

 1790年から1840年は、学問の歴史のうえで重要な期間だ。この時期に自然科学、歴史学言語学が独自の分野として確立された。この過程で主導的な役割を果たしたのがドイツだった。しかも発展は予想もしなかった場所で起きた。大学である。歴史家の共通認識によると、それ以前の大学は学知の伝承を主な使命としていた。それが19世紀になると研究を最重要視しはじめるのだ。ゼミナールや実験室での学びに立脚して、オリジナルな研究成果を出版し、そのことにこそ価値を見いだすというあり方が確立した。18世紀のあいだ大学がむかえていた停滞を考えるならばこれは驚くべきことに思える。しかしドイツでは19世紀初頭にプロイセンを中心に改革運動が起こり、大学は上述のような重要な役割を果たすようになった。

 どう説明すべきか。三つの解釈がある。1) 伝統的な解釈は、研究こそ大学の使命と考えられるようになった要因をイデオロギーに求める。フィヒテシェリング、シュライエルマハーらの理念が変化の要因となったとするのだ。だが近年の解釈は、理念は研究重視化の産物であって、要因ではないとみなしている。2) 要因は産業化のなかで現れてきたブルジョワ意識の成立にあるという。3) あるいは大学間での競争激化に求められる。

 しかしこれらの解釈はあまりに包括的であり、当時の大学で起きていた個々の事象を説明できていない(とりわけブルジョワ意識の成立を重視する研究)。しかもそこには裏づけられていない暗黙の前提がある。研究重視の姿勢は18世紀の大学にはなく、19世紀にはじめて現れたという前提だ。この前提を確証するには18世紀の状況を調べねばならない。さらに理念を重視する解釈は、フィヒテらの理念が実現されなかったことを見逃しているし、大学間の競争を重視する解釈は、1840年以降の状況をそれ以前にあてはめてしまっている。

 19世紀前半にプロイセンでなぜ大学が重要度を増したのか。まだ未解決だ。解かねばならない。まず18世紀の大学の状況をみていく(つづく)。