天文学に従事するガッサンディ Humbert, L'astronomie en France, ch. 4

  • Pierre Humbert, L'astronomie en France au dix-septième siècle (Paris: Université, 1952), 78–107.

  必要があって、基本文献を10数年ぶりに読み返す。哲学者・文献学者として知られるガッサンディを、天文学者として評価するとしたら、どう評価できるかを問うた章である。

 史料としてガッサンディ天文学関係の著作をほぼ網羅的に見ている。とりわけ著者が重視するのが、全集の第4巻に収められたガッサンディの天文日誌である。ここには400ページ以上に渡って、ガッサンディの日々の観測記録が付けられている。この他にも、彼が友人・パトロンであるペレスクと交わした書簡や、その他各地の天文学者たちと情報交換のためにやり取りした書簡が重要な史料となる。これらの記録により、17世紀の(ケプラーやティコ・ブラーエのようなプロ中のプロとは違う)いわばアマチュア天文学者たちが、日々どのような活動をしていたかが分かるという。この他にも、ガッサンディが観測成果を報告するために執筆したパンフレットサイズの様々な著作が参照されている。

 天文日誌と書簡という史料を駆使した結果、ここには哲学史科学史で見られるガッサンディ研究とは異なる姿が見られる。ガッサンディは星を見るために深夜まで起きている。星を見るために山に登る(しかし、しばしば天気が悪くて無駄骨となる)。星を見ながら、正確な時間を知るために、階下の部屋に助手を待機させておいて、足を踏み鳴らして知らせた時点での時刻を記録させる(もう天気が悪いからいいかな、と助手が勝手に休憩に入っていて激怒したりする)。精密な月の地図を描くために、腕のいい絵師をペレスクと共に探す。また、天文日誌に付けられた毎日の気候の記録からは、最近ほとんど雨が降らないだとか、寒すぎて人が死んでいっているだとか、雷に打たれてこの前何人も死んだだとか、その手の通常の歴史記述ではあまり拾われないような事実が浮かび上がってくる。結論としては、ガッサンディ天文学上の重要な発見は基本的にしていないけれど、長年に渡って精密な観測をして、それを残してくれているのは非常に価値があるということになっている。

 この研究の最大の問題は、ドキュメンテーションの貧弱さである。というより、注がないために、拾われている情報が全集なりペレスク宛の書簡のどこから引かれているかが分からなくなってしまっている。

 ガッサンディ天文学上の(理論ではなく)活動を見た研究としては、依然としてこの研究が最も詳細なのではないかと思う。近年の科学史からはこの手の史料を扱う能力が失われてきているため、この研究が更新されることは当面ないかもしれない。