顔を持たぬために歴史を書くこと 慎改『ミシェル・フーコー』

 

 著者は、フーコーの著作、講義録の見事な翻訳と、明晰な解説をすでにいくつも世に送り出している。本書は、その著者による待望のフーコー入門書である。入門書であるのだから、フーコーの主要著作の内容紹介はもちろんなされる(まだ邦訳のない『肉の告白』の解説もなされる)。しかし、それと並んで本書が重視するのは、著作と著作のあいだにあるつながりである。フーコーは次々と主題を変える。その変化をどう説明すればいいのか。

 著者によれば、最初期のフーコーの問題意識は、近代社会のなかで失われた人間性をどう取り戻すか、というものだった。しかし、まもなくこの問題意識が問いの対象となる。なぜ失われたものを、見えなくなってしまったものを私たちは求めるようになったのか。フーコーは歴史研究により、そもそも今の私たち・失われた私たちとか、見えているもの・見えないものという区別自体が、歴史のある時点で出現したものだと考えるようになる。この区別の出現は、18世紀の学問の多くの領域で認められる。その背後には、人間を個人として取り出し、その(表に現れる行動というより、その行動を引き起こしている内なる)本性を見極めることで、統治を円滑に進めようという新しいタイプの権力の出現があった。

 個々人のあり方を特定しなければならないという任務の起源は、古代に求められるようになる。そこで主題となるのが性である。古代のギリシア、ローマでは、性に関して自己を律しなければならないという考え方が見られる。しかし、律するのはあくまで自律的な人間であるためである。これに対して、修道制の発達以降のキリスト教のうちでは、自己への強い不信感が見られる。堕落によって、私たちのうちには悪しき情欲がやどってしまった。この情欲の働きを、告白などの実践によって明らかにしなければならない。こうして、ある人の欲望を丹念に調べることで、その人がどういう人であるかを特定しようという活動がはじまる。このようなギリシア、ローマを経てキリスト教へという経緯は、最晩年のフーコーによって、性の問題に限らない、およそ自分と真理(ここには、なすべきことという規範も含まれる)の関係をめぐる歴史として語り直されることになった。

 本書を読むと、フーコーの様々な見解のあいだにつながりがあることが分かる。自分の関心がある領域について、彼の著作をつまみ食いし、その偶像破壊的なテーゼに衝撃を受けていたといったタイプの読者(私のような読者)にとっては、断片的な知識に文脈が与えられるという発見がある。ただ、フーコーをまったく読んだことがない読者に、本書がどれほど理解されるかは、私にはよく分からない。著者はそのような読者を念頭において書いたというものの、著作間のつながりをつけるという力点の置き方からして、どうしてもすでにフーコーを読んだことがある人向けになっているところがあると思う。

 著者の他の書物と同じく、本書もまた難解なフーコーの著述に明晰な解説を与えることに成功している。これは皮肉なことなのかもしれないが、レトリックをはぎ取った形でフーコーの主張が取り出されたことで、その疑わしさが際立つ箇所がある。例として、『言葉と物』を解説した次の一節を見てみよう。

事物の存在を表象の外部に想定することがなかった古典主義時代の思考にとって、事物と表象とがどこでどのように結びつくのかという問いは無用のものであった。つまり、その思考にとっては、表象を自らのために構成する者としての人間は不在であったということだ。そしてそのように表象を基礎づける者の存在が問題にならない以上、そうした存在に固有の有限性も問題とはなりえなかった。有限な存在者であるという事実は、無限ではないということ以上の意味を持ちえなかったのである(71ページ)。

17世紀の哲学者が、事物の存在を表象の外部に想定しないというのは衝撃的だ。熱さの表象と似たものが事物の側にないというのは、ガリレオデカルトにとって重要なテーゼではなかったのだろうか。人間という「存在に固有の有限性も問題とはなりえなかった」というのも信じがたい。『省察』の「第三反論」のなかでホッブズは、その先がないような端っこを私たちが考えられないというのが、有限な私たちにとっての無限の意味だと言っていないだろうか(『デカルト著作集 第2巻』白水社、2001年、226ページ)。ロックの「私たちの知性が取り扱うのに適した対象と適さない対象とをみる必要がある」という問題意識は、まさに「表象を自らのために構成する者としての人間」を問題にしてはいないのだろうか(『人間知性論』大槻春彦訳、岩波文庫、第1巻、1972年、19ページ)。ホッブズやロックごときは、フーコーの歴史記述からすれば些末なのかもしれない。しかしヒュームはどうなるのだろう。ヒュームはカントにとって決定的な意味を持っており、そしてカントはフーコーの記述の中核に位置している。

 このような疑わしい主張をフーコーが行ったのは、人間の人間性が問題になったのが、18世紀になってからだというテーゼを守りたかったからだろう。そこに固執したのは、自分がかつて持っていた問題意識自体が、近代の入り口で一挙に構成されたことにしたかったからだろう。それにより、自分のあり方が明確に理解でき、それによってかつての自分(と自分が生きる時代)から距離を取ることができる。この意味で、フーコーは真に「自己から抜け出すための哲学」を実践していた。固定した「顔を持たぬために書くこと」はしかし、彼の歴史研究を歪めてもいた。