予定と異端 木ノ脇「アルミニウスに対する異端宣告をめぐって」

 

  アルミニウスに関する基本的な情報を提供してくれる論文を読む。手際よくまとめられていて、私のような初学者には大変助かる。

 アルミニウスは、ウーデウォーターという、ユトレヒト近くの町に生まれた。彼の教育に携わっていたのは、なんと科学史でも有名なスネルである。設立されたばかりのライデン大学に入学したアルミニウスであったが、アムステルダム議会の決定によって、(帰国後にアムステルダムで牧師になるという条件の下で)ジュネーヴ大学で神学を学ぶことになる。ジュネーヴではベザのもとで学ぶとともに、バーゼルでも神学を修めた。

 帰国後アムステルダムで牧師をつとめるようになったアルミニウスにたいして、カルヴァン主義から逸脱した教えを説いているという指摘がなされるようになる。確かにアルミニウスは、カルヴァンを高く評価しながらも、その誤りを正す必要があると考えていた。このため、彼が1603年にライデン大学の神学教授に就任するにあたっては、ゴマルスらが強硬に反対したのだった。

 実際、教授就任にあたってアルミニウスが行った演説を検討すると、正統的な予定説とは相容れない考えを彼がもっていたことが分かる。アルミニウスによれば、救いのためには、恩寵と同時に人間の側の応答が不可欠である。これは、恩寵によって人間は抵抗する術もなく救われるという正統派の教えに反していた。

 アルミニウスの死後、オランダ国会はドルトレヒトで教会会議を開き、アルミニウスの教えを審議した。ゴマルスらが主導したこともあり、会議の末に決定された「ドルトレヒト教会会議規定」では、アルミニウスの教えは異端とされる。アルミニウスの教えを放棄しないものは破門された。