教養の導く先に、ダーウィンの番犬はいるのか 戸田山『教養の書』

 

教養の書 (単行本)

教養の書 (単行本)

  • 作者:戸田山 和久
  • 発売日: 2020/02/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 教養とはなにかを定義する第1部、そのような教養を身につけることを妨げるイドラにどう対処するかを解説する第2部、最後に教養を身につけるための実践的なアドバイスを提供する第3部からなっている。全体を通じて、多数の小説や映画が引かれ、現代の科学的な知見も随所で参照される。そういう箇所を読んでいると、引かれている小説や映画を見たくなってくる。それにより、教養とはなにかを語りながら、教養の習得へと読者を誘う書にもなっている。

 第3部の実践的アドバイスのなかでは、第21章「ライティングの秘訣」が特によいと感じた。仕事のなかでこそ文章を書かなければならないというライティングの必要性、相手と目的を意識して書かなければならないというライティングのデザイン性を説いたあとに、文章と文章をつなげるための具体的な手続きが書かれている。ライティングについて短くまとまったものとして、広く勧められる。

 さらに特筆すべき点として、科学史を学ぶ重要性が書かれていることがある。科学史を学ぶと、科学の発展は時間をかけて徐々に進むもので、しかもその発展は共同作業によってなされていることが分かる。こうして、一人の天才科学者が世にはびこる迷妄を打ち砕いたという英雄史観を回避できるという。

 これはまったくその通りだと思う。しかし、著者による科学史の記述の本体はかなり頼りないと感じた。たとえば、ハックスリーが「ダーウィンの番犬(ブルドック)」を自称していたとある(234ページ)。これは必ずしも間違いではない。しかし、この自称の資料的裏付けは、実はそれほど強固ではない。この点については、以下の記事に詳しい。

 この記事によると、まずハックスリー自身の書き物のなかで、自分のことをダーウィンの番犬と呼んでいる箇所はないという。ではこの自称はどこから来ているか。それは、ヘンリー・フェアフィールド・オズボーンの証言である。オズボーンは1895年の講義のなかで、1879年にハックスリーが「自分は常にダーウィンの番犬だった」と語ったと述べている。さらに1924年には、ハックスリーがしばしばダーウィンの番犬を自称していたと書き残している。

 オズボーンの証言は、彼の息子が編集し、1900年に出されたハックスリーの伝記に入り込んだ。そこでは、ハックスリーの言葉として「私はダーウィンの番犬である」(現在形になっている)が(資料的な典拠を示さずに)紹介されている。この伝記をもとに、ハックスリーは生前からダーウィンの番犬として知られていた、という決まり文句が形成されることになる。

 以上から少なくとも次のことが言える。まず、ハックスリーが生前からダーウィンの番犬と呼ばれていたということはない。それは、1895年のオズボーンの証言ではじめて現れる。しかも、その証言は1879年の会話の回想である。しかも、オズボーンの証言は、ハックスリーが1879年に一度だけ「自分はダーウィンの番犬だった」と言ったのか、それともしばしばそう言っていたのかについて、一定しない。このように、番犬発言は取り扱いに注意が必要である。そのような発言を、留保なく使うのは避けるべきだろう。もう少し一般化すると、このようなクリーシェを見たとき、これは本当に資料上の根拠があるのだろうか、と一度立ち止まれるようになることが、歴史学を学ぶ意義の一つではないかと思う。

 このような意味での歴史を学ぶ効用が本書で発揮されていないのは、当然なのかもしれない。本書の第16章「歴史的センスの磨き方」では、「史料の読み方とか」についてのアドバイスは、「歴史学科の学生さん向け」のものとしていったん脇に置かれている。そのかわりに著者が勧めているのが、グローバル・ヒストリーである。このような考え方は、歴史学者のうちでも支持がある。たとえば、川北稔「リアルなものを求めて:日本西洋史学の道」は、日本で求められる西洋史として、恐らくはウォーラーステインを念頭において、近代のグローバルな経済史を挙げているように見える(参照)。これにたいして、歴史学の核心は史料批判にあるというような、マルク・ブロックのような見解もある(参照)。このような問題についてしっかりと議論する準備には私にはない。けれど、教養としての歴史学は、グローバルヒストリーに限られるとは必ずしもいえない、までは言っておきたい。

 なお、番犬発言の紹介のあとに、種の「固定説が成り立つ前は、生物は種の垣根を超えて勝手にどんどん変わりうるという考え方(transmutationism)のほうが常識」であり、そこでは、「雑種も変態も進化も自然発生もごたまぜ。無秩序」(234ページ)と書かれている。これも、私には少なく見積もっても相当誤解を招く記述に思えた。たとえば、私が研究しているユリウス・カエサル・スカリゲルは、ここで例として挙げられている「ラクダとヒョウが掛け合わさってキリンになるとか、木の実が水に落ちるとフジツボに」なるとかいった事例を、「無秩序」であるとは考えていなかった。少なくとも後者のような例については、なんとか種の変化を認めずに説明しようと苦慮していた。その説明の仕方や、その歴史的な意義については、私の著作の第6章と、結論部を参照されたい。この箇所の記述、特に「無秩序」とまでいってしまうところは、論述を面白くしようとする著者のサービス精神が、悪い結果を招いている。