デカルト哲学と知性単一論 Verbeek, "'Ens per accidens'"

  • Theo Verbeek, "'Ens per accidens': le origini della querelle di Utrecht," Giornale Critico della Filosoa Italiana 12 (1992): 276–288.

 レギウスは、1641年の討論で、「精神と身体から単一の自体的な存在(ens per se)が生じるのではない。そうではなく、偶有性からなる単一の存在(ens per accidens)が生じる。なぜなら精神と身体は、それぞれで完全で完璧な実体だからである」と述べていた。これをヴォエティウスがどう解釈したかを検討した論文である。著者はヴォエティウスがレギウスの主張を、アヴェロエスの知性単一説と関連付けて理解していたと指摘する。アヴェロエスによれば、知性というのは一つである。知性は個別の人間ごとにあるのではない。だから、人間を個別化する働きを知性は果たしていない。質料形相論の術語でいえば、知性は forma informans ではなく、forma assistens だということになる。それは船における船乗りのようなものである。船と船乗りは一つの存在ではない。それらが一つであるのは、航行するという活動においてである。このような理解と、精神と身体がつくる単一性を、偶有的なものとするレギウスの主張がヴォエティウスによって重ねられる。そこから、レギウス・デカルト的な理解を、プラトン主義の世界霊魂論と関係させることも行われる。なぜなら、世界霊魂論とは、一つの霊魂が多数の事物に関わるという点で、単一の知性が多数の人間と関わるとする知性単一論と重なるからである。このような古くからの危険な学説と結びつくと考えたからこそ、ヴォエティウスはレギウスの見解に激しく反発したのだった。