ゴルラエウスのオランダでの受容 Lüthy, David Gorlæus, 4.2

  •  Christoph Lüthy, David Gorlæus (1591–1612): An Enigmatic Figure in the History of Philosophy and Science (Amsterdam: Amsterdam Amsterdam University Press, 2012), 134–139.

 

 

 ゴルラエウスの『演習』を所蔵しているオランダの図書館は、現在は2つしかない。しかし『演習』は当時は広く読まれていた。Adriaan Hereboordのような人物も、1648年の時点で、ゴルラエウスの形而上学を哲学の学び方に関する助言のなかで推薦している。ここでは、デカルトと関係があった3名の人物が、どうゴルラエウスを読んでいたかが検証されている。

 Jacob Ravenspergerは、1639年にグローニンゲンで行った討論で、ゴルラエウスが繰り返し言及している。Ravenspergerはときにゴルラエウスに同意し、特に異議を唱えている。Ravernspergerは、ゴルラエウスが元素の数を2つに絞ったことだけでなく、『演習』のほぼ全体を検討している。ただしゴルラエウスの原子論には関心を寄せていない。

 ヘンリクス・レネリは、デカルトの良き友人であった。しかしレネリが作成した討論を見ると、彼もまたゴルラエウスに依拠しているのが分かる。ゴルラエウスと同じく、伝統的な元素と混合の区別を否定しているし、火と空気を元素から除外している。

 ヘンリクス・レギウスは、1641年にユトレヒト大学で行った討論で、現在ユトレヒト事件として知られる論争を引き起こしたことで知られている。この討論はデカルトに大きく依拠しており、そのため最終的にデカルト哲学がユトレヒト大学で禁止されることになる。討論のなかでRegiusは、人間を「偶有性からなる存在」と定義した。「精神と身体から単一の自体的な存在(ens per se)が生じるのではない。そうではなく、偶有性からなる存在(ens per accidens)が生じる。なぜなら精神と身体は、それぞれで完全で完璧な実体だからである」。この見解を神学部の教授であるギスベルトゥス・ヴォエティウスは危険視した。それは、たとえば身体の復活の否定につながるからである。

 デカルト本人は、人間を偶有的な存在とする見解はレギウスが書いたものではないと弁明したものの、レギウスは書いたのは自分であり、それをゴルラエウスから学んだのだと宣言する。これを受けてヴォエティウスは討論を主催し、そのなかでゴルラエウスは人間を偶有性からなる存在とする主張を、タウレルスから学んだと解釈し、この主張を攻撃した*1。さらにヴォエティウスは、実体形相の学説を否定しようとする危険人物として、タウレルス、ゴルラエウス、バッソンの名前を挙げている。こうしてヴォエティウスのなかで、タウレルス、ゴルラエウス、バッソンと同種の理論を唱えるものとして、レギウスとデカルトは位置づけられた。同じように、スホーキウスも、デカルトがやろうとしているのは、アリストテレスを排斥しようとしたバッソン、タウレルス、ゴルラエウスの営みと同種のものだと攻撃している。

関連書籍

 

 

*1:このヴォエティウスの解釈に、デカルトも言及している。デカルトユトレヒト紛争書簡集』27ページ(AT7:586)。