1500年から1800年の聖書解釈(2) De Jonge, Van Erasmus tot Reimarus
- H.J. de Jonge, Van Erasmus tot Reimarus: Ontwikkelingen in de bijbelwetenschap van 1500 tot 1800 (Leiden: Rijks Universiteit Leiden, 1991), 11–20.
De Jongeは古代の文書に対する根本的な態度の変化が、17世紀半ば以降に起こったとする。それまで古代の文書からも確実な知識が得られると考えられていたのが、むしろそのような文書は信頼できないとみなされるようになった。この伝統への不信は、理性が知識を得るためのよりよい手段として評価されるようになったことから来ていた。De Jongeはこの変化をもたらした要因として3つを挙げる。
第一に、デカルトの哲学である。デカルトは書物や伝統や教育から来る意見は信頼できず、確かな知識は疑う余地のない少数の倫理から導き出されると主張した。このように主張する中でデカルトは聖書に訴えずに神の存在を照明した。こうして彼は聖書なしの神学を可能にした。
第二に、スピノザの思想である。スピノザは、神と自然(これらは同一)についての正しい知識は、理性からのみ得られるとしました。これと、古代の聖書著者たちが持っていた神についての見解は区別されなければならない。彼らの教えの中で、神への服従と隣人愛の教えだけは、真の宗教として認めることができるものの、この教えを説くために彼らが語る奇跡は、そのまま真実として受け入れることはできない。
第三に、1625年頃から1725年頃にかけてイングランドの思想家たちが提唱した理神論である。これは、神の存在、神の崇拝の義務、同法に対して道徳的であること、死後の魂の存続、来世での報いといった教えを、理性によって認めることができるという考えである。そのような理神論者の中には、聖書の啓示に対して否定的な見解を取るものが現れていた。たとえばアンソニー・コリンズは、旧約聖書の預言が新約聖書で成就したと主張することが困難であり、ここからキリスト教の真理の立証が困難であることをほのめかした。トマス・ウルストンは、奇跡を寓話として解釈すべきだと主張した。マシュー・ティンダルは、新約新約聖書の中身は、理性によって知られる神についての知識と両立しないと主張した。
De Jongeは、デカルトとスピノザの合理主義と理神論から来た聖書への批判は、無神論や神についての不可知論から来ているわけではないと強調する。ただし、1725年頃から、そうして生まれた懐疑主義をフランスの唯物論者や無神論者たちが利用するようにもなったと指摘する。たとえばドルバックである。
聖書への批判の深まりに対するもう一つの反応として、De Jongeは旧約聖書の預言が新約聖書で成就したことを証明しようとする試みを挙げる。たとえばライデンのT.H. ファン・デン・ホーネルトやイングランドのアーサー・サイクスらの試みである。これらの試みはしかし、預言の成就というものは古代のユダヤ教について、相当な解釈を施してでないと成り立たないということを示すに終わった。
聖書への批判が聖書学に本格的に取り込まれたのは、18世紀半ばになってのことであったとDe Jongeは主張する。ハンブルクのH. S. ライマルスは『理性的な神の崇拝者のための弁明または擁護書』を、1744年から死去する1768年のあいだに書きました。この著作の大部分を、レッシングが1774年から78年にかけて、著者名を明かすことなく雑誌に発表した(全体が出版されたのは1972年である)。
De Jongeによると、ライマルスは理神論者であり、この立場から聖書が神に関する啓示を含むことを否定していた。彼は、聖書は登場人物や伝承者や執筆者たちの利己的な動機から成り立っていると考えた。彼によると、聖書は信頼できる古い伝承と、後代の信頼できない加筆の混合物ではない。むしろ聖書はその全体が卑小な人間の過去の活動の産物である。
De Jongeはライマルスの福音書解釈を紹介する。歴史的なイエスは、イスラエルの国と民がまもなく輝かしい未来を手に入れるだろうと説いた。しかしイエスは殺された。この時弟子たちは自らの地位と威信を失わないために、イエスが期待したのは、地上の王国ではなく、天の王国であるとイエスの教えを変更した。これを信じさせるために、弟子たちはイエスが復活して天に昇ったという話を創作し、それを裏付けるためにイエスの墓から死体を盗んで隠した。彼らはこのような立場から福音書を執筆した。ここでライマルスは、聖書を神に関する知識を得るためには読まず、むしろそれを人間の置かれた環境と動機についての合理的な再構成から説明しようしようとしている。ライマルスのアプローチは、歴史的批判的アプローチの原初的な形態と呼べるとDe Jongeはする。
最後にDe Jongeは、講演全体の内容をまとめる。聖書の科学的な研究は1500年から1800年にかけて3つの要因によって促進された。第一に、人文主義が聖書の歴史的な見方をもたらした。第二に、合理主義と理神論が、神について知るには聖書は不要であるという考えを強め、それにより聖書は神についての知識の源泉としての権威をうしない、内容が批判の対象となった。第三に、ライマルスは聖書の内容を、完全に人間的な動機から説明しようとした。