誰がモーセ五書を書いたか(2) Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible"

 

  • Noel Malcolm, "Hobbes, Ezra, and the Bible: The History of a Subversive Idea," in Malcolm, Aspects of Hobbes (Oxford: Oxford University Press, 2002), 383–431.

 続いてMalcolmは、ラ・ペイレールに話を移す。ラ・ペイレールの『アダム以前の人間』は前半部と後半部に分かれている。彼がモーセ五書は、部分的にはモーセの日誌に由来する様々な史料から、モーセよりも後の時代に合成されたものだと主張したのは後半部である。前半部については1642年から手稿の形で存在していた記録が残っているものの、後半部はその時点ではまだ存在していなかったと考えられる。後半部をラ・ペイレールが執筆し始めたのは、1648年の初頭にクロード・ソメーズがDe annis climactericisを出版して以降のことだと思われる。またラ・ペイレールが後半部をこの年の終わりまでには何らかの形で執筆していたという(間接的な)証拠がある。

 Malcolmによれば、ホッブズは『リヴァイアサン』第33章を、1650年の5月には完成させていた。Malcolmは、ホッブズがこの箇所に執筆に際して、『アダム以前の人間』の後半部の手稿をデュピュイ兄弟のサークルの人脈を介して手に入れていた可能性はなくはないものの、それを肯定することもできないとする。ホッブズの『リヴァイアサン』の議論とラ・ペイレールの『アダム以前の人間』での議論の比較からは、ホッブズがラ・ペイレールを参照していたと断定することはできない。むしろ『市民論』での議論の自然な発展として『リヴァイアサン』の議論が位置づけられることからして、ホッブズがラ・ペイレールとは独立にモーセ五書の著者についての、それがおそらくはエズラであるという結論に達した可能性も十分にある。

 以上からMalcolmは、ホッブズ、ラ・ペイレール、スピノザのあいだの関係については明確な結論出せないと結論する。スピノザはラ・ペイレールとホッブズから何らかの影響を受けた可能性はあるものの、彼らとは独立にモーセ五書の著者はモーセではないという結論に至ったというのは非常にありそうなことである。ホッブズはラ・ペイレールからなにか間接的な影響は受けたことがあったのかもしれないが、ラ・ペイレールから独立に結論に到達した可能性もある。ラ・ペイレールについては、何に依拠していたかは分からない。

 ここからMalcolmは、1648年から1656年という短い時期に3人の人物が、それぞれほぼ独立にモーセ五書の著者がモーセではないという結論に到達したということからは、この結論が彼ら全員にすでに利用可能であった考えに依拠していたのではないかという仮説が立てられるとする。