- Richard H. Popkin, "Spinoza and Bible Scholarship," in Cambridge Companion to Spinoza, ed. Don Garrett (Cambridge: Cambridge University Press, 1995), 383–407.
Popkinは、続いてスピノザのキリスト論について論じる。Popkinはスピノザのキリスト論は、コレギアント派のアダム・ボレールの『立法者、ナザレのイエス』に対抗して、これとは違うイエス理解を提出したものだと理解できると主張する。この著作は出版されていなかったものの、コレギアント派の運動に関わっていた人々(スピノザを含む)の間では知られていたとPopkinはしている。
Popkinは、イエスを立法者とするボレールに対して、スピノザはイエスが法を与えたとか、新たな儀式を導入したとかいうことを否定した。そうではなくイエスは神の代弁者である。この理解はソッツィーニ派やクェーカーのキリスト理解に近いとPopkinは指摘する。スピノザはソッツィーニ主義者たちのように、キリストの神性を否定しながら、キリストがモーセや他の預言者よりも高い地位にあることを認めた。またスピノザの「これに対し、神が憐れみや恩恵によって万物を司り、そしてこの憐れみや恩恵によってひとの罪を許してくれると固く信じるならば、そしてこの信仰のためにさらに神への愛に駆り立てられるならば、その人は本当にキリストを心から知っていることになるし、キリストもその人の内にあることになるだろう」(『神学・政治論』第14章、吉田訳下巻119ページ)という主張は、キリスト教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、イスラム教徒であれ、異教徒であれ、自らの内にキリストを持つことができるという見解と同じである。