『最後の努力』その2

ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13)

ローマ人の物語 (13) 最後の努力 (ローマ人の物語 13)

にまた気になる記述が…。

フランク族の王シャルルは、西暦800年にローマを訪れ、ローマ法王の手から、神聖ローマ帝国の皇帝として帝冠を授けられた人である。神聖ローマ帝国とは、ローマ帝国は滅亡したもののその後は暗黒の中世に突入したまま抜け出せないでいるヨーロッパにも、キリスト教を旗印にかかげた強大な帝国を建設しようとした試みであったのだ。フランクの王シャルルが「マーニュス」をつけて呼ばれたのも、あの当時のヨーロッパのキリスト教会にとっては、この人こそが希望の星であったからである。(中略)神聖ローマ帝国は結局帝国もつくれずに溶解してしまうが…(252ページ)

ええっと、カール大帝シャルルマーニュ)って神聖ローマ帝国の人でしたっけ?
 高校の世界史の記憶では、神聖ローマ帝国を始めたのは「オットー」という人だったような気がします。
 でも塩野氏も上の引用で、「西暦800年にローマを訪れ」と書いているので、オットー大帝以後の神聖ローマ帝国のことを指して、ここで「神聖ローマ帝国」と書いているわけではなさそうです。
 となると問題はフランク王国のことを神聖ローマ帝国と呼ぶ慣習があるのか?ということになります。
 というかそもそも神聖ローマ帝国とは何かという問いに僕はまともに答えられません。

神聖ローマ帝国 1495‐1806 (ヨーロッパ史入門)

神聖ローマ帝国 1495‐1806 (ヨーロッパ史入門)

でも読んで勉強しろということでしょうか。

→日記をアップしてから気がつきました。このはてなダイアリーの項目にちゃんと「神聖ローマ帝国」というのがあります。