『サブカルチャー神話解体』が文庫化されたので少し:その2

(以下は『サブカルチャー神話解体』が文庫化されたので少し:その1の続きです。)

 先日、『サブカルチャー神話解体』は、独特な理論的前提の上に立つために、読者を遠ざけている可能性があると書きました。でも、内容のとっつきにくさから敬遠してしまうには、『サブカルチャー神話解体』はあまりにも重要だと私は思うのです。

 そこで、以下で少し『サブカルチャー神話解体』を理解するための近道を整備するために、同書の核となっている3つの要素を抜き出して、説明してみたいと思います。それがこれから『サブカルチャー神話解体』を読む人にとって、少しでも助けになればいいな、と思いつつ。

 私の考えでは、『サブカルチャー神話解体』を支えている前提は、以下の3つの要素にまとめることができます。

  1. 若い世代内部での意思疎通の前提が1970年代に入って消滅したこと。
  2. 人間の人格を、意思疎通の際の期待外れから自己像を防衛する戦略のあり方にしたがって分類すること。
  3. 以上の歴史的前提(1)と理論的前提(2)をもとに、各サブカルチャーの内容を分析すること。

 これだけでは何のことかまったく分からないと思うので、以下で少し説明します。

1. 関係の偶発性の上昇

 『サブカルチャー神話解体』には、議論全体を規定している歴史的背景があります。その背景を設定する際に参照されるのが、若い世代が互いに意思疎通(コミュニケーション)を行う際の共有前提に生じた通時的な変化です。

 宮台氏が70、80年代のサブカルチャーの展開を理解する上で重要だと考えるのは、若い世代の意思疎通の前提に1970年以後に生じた変化です。70年に至るまで、若い世代の人々は、若者/大人という枠組みに依拠することによって自己像を維持することができました(たとえば「保守反動の大人に対して進歩的な若者」)。そして、そのような自己像が若者のあいだで共有されていることを前提として、互いの人間関係を作り上げることが可能となっていました。

 しかし、この若者/大人という区分に基づいた共通了解が1970年以降無効化してしまいます。大学紛争の挫折と連合赤軍事件によって、若者たちに共通する目標がなくなってしまったことが原因です。

 若者/大人という共通前提が消滅したことは、若い世代の人間たちが人間関係を構築する際のいわばとっかかりがなくなってしまったことを意味しました。つまり、相手が同じ若者だからということで、意思疎通の前にあらかじめ予想を立てておくことが困難になったということです。

 このような事態のことを、宮台氏は「<関係の偶発性>の上昇」と呼びます。この関係の偶発性の上昇という歴史的背景は、『サブカルチャー神話解体』でなされる分析すべての前提となっています。なぜなら、70年代、80年代、そして90年代初頭に至るまでのサブカルチャー全体が、この関係の偶発性の上昇という事態に対処するための対応策として分析されることになるからです。(つづく)