柄谷行人、『日本精神分析』

日本精神分析 (講談社学術文庫)

日本精神分析 (講談社学術文庫)

 文藝春秋社から2002年に出された本の文庫化です。柄谷氏がひさしぶりに文学作品にもとづいて評論活動を行っています。取り上げられている作家は、芥川、菊池寛、谷崎ですね。

 印象的だったのは第3章の「入れ札と籤引き」です。ここで柄谷氏は菊池寛の「入れ札」という作品の読解から、無記名の秘密選挙によって代表が選ばれる代表制民主主義について論じています。以下で引用するのは、普通選挙の開始によって代表制に生じた変化について論じた箇所からのものです。

 こうした議会への不満が、普通選挙、つまり、代表制民主主義とともに出てきたことに注意してください。それまで、人々は議会が「人民」を代表しているとは思っていなかった。実際、それは一定の階級を代表していました。

 ところが、普通選挙以後には、議会は人民――すべての階級――を代表するものだと見なされる。であれば、すべての階級が議会に裏切られていると感じるほかないでしょう。そこで、人々は「真の代表」を求めることになるわけです。

 「真の代表」は、議会による討議などからは出てこない。だから、議会や議員による内閣を拒否する軍部のクーデターが起こると 、大衆が喝采するということになる。人々は、密室の中の主権者〔秘密選挙は各人が密室に入って投票する〕であるよりも、、拍手喝采によって一人の主権者(レヴァイアサン)に従うことを選ぶのです(160-61頁)。

 もちろん、今日においてそれがくりかえされるとは思いません。しかし、議会制民主主義への不満が恒常的に続くことは間違いないのです(160-61頁、強調引用者)。

 議会は民意を反映していないのだから、自分は有権者に直接信を問うと宣言したのが日本の前首相でした。あのとき有権者郵政民営化を支持したのでしょうか。そうではなくて、有権者が望んだのは、自分たちがとにもかくにも何らかの形で代表されることだったのかもしれません。
 なんて下品はことは、柄谷氏は2007年に書かれた文庫版解説でも述べていません。これは完全に私の妄想です。ただ、上のような文章を読んで、昨年の選挙のことを考えるなという方が難しいです。なんにせよ、議会制民主主義から独裁者が生まれる事例として、昨年の衆議院選挙を分析してみることは有効かもしれません。いや、すでに政治学の方ではやられているのでしょうか。