重臣イデオロギーから貴族主義的民主主義へ 三谷「丸山眞男は戦後民主主義をいかに構想したか」

学問は現実にいかに関わるか

学問は現実にいかに関わるか

 丸山眞男の戦後民主義構想を戦前の「重臣イデオロギー重臣リベラリズム)」へのアンチテーゼとして理解しようとする論考です。第一次世界大戦後の日本では、天皇の側近たちが内外の情勢をにらんでバランス・オブ・パワーを模索する方策がとられていました。この政治体制の反意語として丸山の戦後民主主義を理解しようというわけです。しかし実際の論述にあたると、丸山の構想が重臣イデオロギーにみられる貴族主義的な要素を引きついでいたことがわかります。というのも天皇側近による政治が望ましくないからといって、多数者による支配を支持する方向に丸山はいかなかったからです。それは普通選挙の成立とともに治安維持法を生みだした戦前の政治のあり方と変わりない。しかも現実の戦後民主主義はそのような多数の専制に向かっていると丸山は考えていました。代わりに彼が構想したのが「ラディカルな精神的貴族主義がラディカルな民主主義と内面的に結びつくこと」でした。自由で自発的な集まりでの議論を通じて鍛えられた人々の集団が、それぞれ「少数者」として民主主義をささえるという構想です。これはマックス・ウェーバー吉野作造と共通の思考様式でした。

メモ

 森鴎外の晩年の作品が政治的公共性の前提としての文芸的公共性を江戸時代に見いだそうとしたものであるという考察(72–75ページ)。