下級のダイモン

 ストア派のダイモン論についてのメモです。

 それははたして、大きな家においては全体はよく治められていてもいくらかのもみ殻や若干の麦粒がこぼれているように、何かがなおざりにされていることによるのか、それともこのような場合には下級のダイモーンが割り当てられていることによるのであって、そこでは本当に非難に値する手抜かりがあるのだろうか。(SVF, 2.1178)

 ここでクリュシッポスが提示しているダイモン論は、ロングとセドリーによれば、ちょっとした提案(casual suggestion)にすぎない。悪の原因をダイモンに帰すことはストア派の神学と両立しがたいからである*1

 各人のダイモンが万物の支配者の意志と一致し、この一致に即して行為されるとき、このことが幸福なものの徳であり、生の滞りのなさである。(SVF, 3.4=LS, 63C)

 
 しかしRistは以下の文章を引きつつ、各人のダイモンについての説をポセイドニオスのプラトン主義化された魂論に由来するものと論じているらしい。

 人間に対する共感を持ったダイモンもいて、人間界の出来事を見守っていると彼らは主張する。また優れた人々の魂が存続しているのが英霊であるとも言う。(SVF, 2.1102)

 またポセイドニオスのダイモン論に関しては、プラトンのダイモン論とのつながりが指摘されている。

 The cause of the emotions, that is, of inconsistency and of the unhappy life, is not to follow in everything the daimon on onself, which is akin and has a similar nature to the one which governs the whole universe, but at times to deviate and be swept along with what is worse and beast-like. (Posidonius, Kidd, Fr. 187)

 プラトンティマイオス』90Aには次のようにある。

 ところで、われわれのもとにある魂で、至上権を握っている種類のもの〔理性〕について、こう考えなければなりません。すなわち、神が、これを神霊(ダイモーン)として、各人に与えたのである、と。

*1:A. A. Long and D. N. Sedley, The Hellenistic Philosophers (Cambridge: Cambridge University Press, 1986), 1:332.