家柄、亡命生活、田舎暮らし

  • Vernon Hall, Jr., “Life of Julius Caesar Scaliger,” Transactions of the American Philosophical Society40 (1950): 85–170.

 こちらの続きです。スカリゲルが経歴詐称をしたのは、彼が己の生まれが高貴でないことを自覚しており、それを気にかけていたからです。そのことをうかがわせる記述が、エラスムスに対する攻撃の書を出版する過程で彼が書いたもののなかに散見されます。彼は1529年にエラスムスの『キケロ主義者』への反論書の草稿をパリに送りました。彼の最初の著作です。しかしそれは印刷されずあろうことが紛失されてしまいます。

 この紛失に抗議して書かれた手紙のなかで彼は、自分の著作が軽んじられているのは、それに中身がないというよりも著者が無名だからではないかと推測しています。彼は自分の出自が低俗なものと考えられているのではないかと疑い、スカリゲル家は彼を攻撃するものたちの家庭よりもほまれ高いのだと強調しました。彼はまた自分がイタリア人であるであるにもかかわらず、フランスで亡命生活を送っていることが人々の軽侮を招いているのではないかと考えます。そこで彼は、何人たりともいつの日か破滅しないと断言できるほど安全な生を送ることはできないと主張します。彼が一族を失ったのは陰謀と戦争のせいであるのだから、それは軽蔑されるべきではないし、自分の過去の栄光はかつての戦友、そして何よりも自分が体に負った傷が証言してくれるだろう。

 エラスムスの敵対者の助けを借りてようやく出版の運びとなった反論書のなかでもスカリゲルのコンプレックスをうかがうことができます。彼はまず自分のような無名のものがエラスムスに対する反論書を弁論という形で公刊するというのは奇異に思われるのではないかと述べます。しかし誰もが最初は無名だし、古代ローマでも若い男性、あるいは時に女性が自分の利益のために公の場に訴え出たではないか。

 出自の低さと無名さと並んでスカリゲルが気にしていたのが、自分が住んでいる場所が学問の中心から遠くはなれているという事実でした。彼はアジャンというフランスの町に住んでいました。そこでは人々は精神を豊かにすることよりも作物を育てることに熱心である。もし学芸が行われるとしても物質的な利益を得るためだけに限られる。そこで売られている本は、文法書と法律書だけである。だから研究のための本を手に入れるためにバーゼルヴェネツィアフィレンツェ、ローマに手紙を書かねばならない。スカリゲルは自分が住む町についてこんなふうに書いています。

 スカリゲルの経歴詐称は彼の自己顕示欲の産物ではありました。しかしその背後には、高貴とは言えない家に生まれ、何の後ろ盾もなく一人異国の町、それも学問の中心地からは離れた場所で活動せざるを得なかったという状況があったことを忘れてはなりません。