『シェイクスピア・ハンドブック』を手に入れたぞ。。。おや?
- 作者: 河合祥一郎,小林章夫
- 出版社/メーカー: 三省堂
- 発売日: 2010/06/18
- メディア: 単行本
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id:saebouさんに手配してもらって出版社から家までわざわざ送ってもらった本がついに届きました。その名も『シェイクスピア・ハンドブック』。さてさてその内容は…
本書はシェイクスピアの生涯とその時代、戯曲や誌の特徴とポイント、シェイクスピア劇がイギリスだけでなく日本でどのように受けいられてきたかなど、シェイクスピアの作品世界を理解するために必要な事柄を網羅して、観賞の手引として活用できるように編集したものである。(はじめに)
というわけで本書はシェイクスピアの生涯から始まって、全作品の解説、受容史、さらなる調査のための参考文献、便利な系譜図や年表がついています。これは便利。
さあせっかく買ったのだから中身を読んでみようということで、最初のほうだけパラパラめくってみました。すると…
1983年にはウォリック州のカトリックの若者が「エリザベス女王を暗殺しに行く」と公言したため、逮捕され、絞首刑になったうえ、内臓をえぐりだされて四つに裂かれ、首をロンドン橋の上にさらされた。(22頁)
うわあああああああああ。1983年って私が生まれた次の年じゃないですか。最近まで凄い国だったんだな、いぎr…
いやいやいや、これは1583年の間違いですね。この間違いが妙に現実的なのは1983年のイギリス女王がやっぱりエリザベスだからです。何気にめくっていてここにぶち当たった時は本当に驚いてしまいました。
まだ本の最初のほうしか読んでいないのですけど、なんか気になるなぁという点は他にもあります。
プロテスタントを解説した個所。
教会の力を借りずに自分たちの力で聖書を読めるようにすべきだと考えたプロテスタントは、ヘブライ語やラテン語で書かれていて聖職者しか読めなかった聖書を世俗の言葉――すなわち、ドイツ語や英語といった各地の言葉――に訳す運動を推し進めた。
「ヘブライ語やラテン語で書かれていて聖職者しか読めなかった聖書」って何なのでしょう。旧約聖書はほぼすべてヘブライ語で、新約聖書はギリシア語で書かれているわけです。そうすると「ヘブライ語やラテン語で書かれていて」というのはなに?
もしかすると当時の西欧の聖職者の大部分は聖書のラテン語訳を使っていたということを念頭に置いているのでしょうか。でもそうするとなんで「ヘブライ語」とかつくの?ヘブライ語が読める人なんて聖職者の中にもあまりいなかったと思う。ギリシア語のほうがまだいたはず。
結論。ここは最大限好意的に解釈すると、「プロテスタントは、旧約聖書のヘブライ語原典と旧新約聖書のラテン語訳という聖職者しか読めなかった聖書を…」となります。しかしこんな言い方をする意味が私には分かりません。たぶん正解は、「プロテスタントは、ヘブライ語で書かれた旧約聖書、ラテン語で書かれた新約聖書という聖職者しか読めなかった聖書を…」となります。あらら。
その直前には
かつてキリスト教といえばローマ教皇を頂点とするカトリックしかなかったが、ドイツの神学者マルティン・ルターが(以下略)。(20頁)
まあこれは西欧に限定して考えれば…。うーん、でも「西欧では」と一言つけた方がいいんじゃないかなぁ。
次は韻律の解説のところ。
韻文とは、毎行一定の韻律(リズム)が繰り返される文のことだ。(160頁)
私には分からないのですけど、英語ではこういう風に韻文が定義できるのでしょうか?同じインド・ヨーロッパ語族に属する言語でもギリシア語(ラテン語)に話を拡大すると、「毎行」というのは成立しなくなってしまうのですよね。たとえばギリシア悲劇の合唱隊の歌は紛れもない韻文で書かれていますけど、「毎行一定の韻律(リズム)が繰り返される文」ではない(ことが圧倒的に多い)。専門用語を使って表現すると、この定義は「verse」と「period」の違いを踏まえないで書かれたものに見えます。
というわけで細かく見ていくといろいろ問題がありそうな本なのですけど、便利そうではあります。ぜひ買ったほうがいいよとは言えないですけど、本屋で手に取ってみるくらいはお勧めです。