Multiple Averroes (Paris, 1978), 366 には、パリ手稿は Mose Tibbon のヘブライ語訳からの重訳であると説明があります。一方、Ivry の1999年の論文では、小注解はユダヤとキリスト教徒に知られていたが、中注解はユダヤ世界だけに、大注解はスコラ学の世界だけに知られていたと説明してて、パリの手稿には触れていません。
>Hさん
ありがとうございます。大変参考になりました。
ご指摘にあるIvryの1999年の論文は、月曜日まで入手できそうにないので、その代わりという感じで1995年の論文を読んでみました。
それを読んだ限りで分かったことを一応まとめてみると(まとめなくてもいいのですけど(-_-;))
http://www.geocities.jp/mitakaryo/averroes-commentary-deanima-extare.htm
こうなりました。『霊魂論』の中注解ラテン語訳への言及はなしでした。
Multiple Averroes (Paris, 1978), 366 には、パリ手稿は Mose Tibbon のヘブライ語訳からの重訳であると説明があります。
ヘブライ語からの訳…。しかもパリ。
Crawfordの序文には
アヴェロエスはアリストテレス『霊魂論』に3つの注釈書を書いた。すなわち概要、中注解、大注解である。これらのうちラテン語で残されているのは、中注解(2)と大注解のみである。
注2: Vat. lat. 4551, ff. 1r-67v という写本でのみ残っている。始まりは以下のようになっている。「思弁的な知識というものは有用なもののうちの一つであると私たちは理解しているのだから…」。
とあります。
バチカンなんです。そしてヘブライ語という情報はありません。確かにCrawfordの本は1953年に書かれたものなので、その後ヘブライ語からの翻訳であると分かったのかもしれません。しかし場所が変っているというのは…。何がなんだかさっぱりです。
「『霊魂論』のアラビア語訳とその翻訳者」Alfred L. Ivry, "The Arabic Text of Aristotle's De anima and its Translator," Oriens, (vol. 36, 2000), pp. 59-77.
という論文をみむらさんが今取り寄せているようなので、みむらさんにうかがいを立ててみることにします。僕のほうでも週があけたら他の文献にも当たってみようと思います。貴重な情報ありがとうございました。