完結するまでは死ねない 高遠弘美『失われた時を求めて』刊行開始

失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)

失われた時を求めて〈1〉第一篇「スワン家のほうへ1」 (光文社古典新訳文庫)

 高遠弘美さんによる『失われた時を求めて』の新訳の刊行が光文社古典新訳文庫にてはじまりました。近所の書店をふらりと訪れたところ平積みされていたのでさっそく購入。

 高遠さんが用いた版と突き合わせて検討したわけではないので学問的な水準で翻訳の出来を判断することは私にはできません。そんな私が訳文だけを頼りに判断するのですけど、とにかく日本語として実に優れた出来上がりの作品になっています。確かに私がかつて『失われた時を求めて』を読んだ井上訳も慣れてくると味があって、というよりも慣れてくるとプルーストの作品世界に引きずり込まれて訳文のぎこちなさが気にならなくなってきたものです。しかし今度の高遠訳は出だしから本当に自然に作品世界に入っていける。それだけ細部にまで注意がはらわれ、最適な日本語が選ばれています。もちろんそのようなことが可能となっているのは井上訳をはじめとする既訳があってことなのでしょう。

 まだ冒頭しか読んでいない(というかまだ作品全体からすると冒頭部しか出されていない)のですけど、一つ仰天の描写を引用しましょう。

もうすぐ午前零時になる。午前零時。それは旅を余儀なくされて、見知らぬホテルで寝なくてはならない病気持ちの男が、発作で目が覚めた拍子に、ドアの下から差し込む一条の光に喜びの声をあげる頃おいである。ああ、よかった。もう朝になった!もうすぐ従業員たちも起こされるだろう。そうしたら呼び鈴を鳴らせばいい。誰かが助けにきてくれるはずだ。助けてもらえるという期待が、苦痛に耐える勇気を与えてくれる。そう、いましも、足音が聞こえたのではないか。しかし、足音は近づいたかと思うと、遠ざかってゆく。ドアの下の光の筋も消えてしまった。ほんとうはいまは真夜中で、ガス灯が消されたところだ。最後の従業員も行ってしまったから、一晩中、薬のないまま苦しまなくてはならない。(25頁)

 …みなさん、これが午前零時です。プルーストの手にかかると午前零時ですらここまで入念に表現されるのです。この手の考え抜かれた描写を積み重ねながら、冒頭30ページほど主人公が床についてから目覚めるまでに感じることが描かれ、そこからいつのまにやら幼少期の思い出に話が移行するという展開になっています。芸術性などは皆無の文章を書きながらも一応何かしらものを書くということをするようになって改めて感じるのですけど、この導入の見事さは尋常ではない。何を食べたらこんなことができるようになるのでしょう。

 とまあ無駄口を叩いてきましたけど、私が言いたいのは高遠さんの翻訳は素晴らしく、これは全14巻を1万円以上出してコツコツと買い進める価値があり、そして何よりもこの翻訳が完結する前には死にたくはないな、ということなのです。みなさんもぜひ手に取ってください。読書するって素晴らしいことだと感じることができるはずです。