The Metaphysics Of The Healing (Islamic Translation Series)
- 作者: Avicenna,Michael E. Marmura
- 出版社/メーカー: Brigham Young Univ Pr
- 発売日: 2004/06/01
- メディア: ハードカバー
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先日上智大学から借り出してきた『治癒の書 形而上学』のマルムラ訳を使って同書の9巻2章から4章までをざっと読んでみました。ここで説明されているのは第一にどのように天球が動かされているのかということ。そして第二にその天球(たち)はどのようにして存在するに至っているのかということです。
最初の点についてはアヴィセンナは4つの要素を考えます。すなわち神、天球から離れて存在する知性、天球の形相たる霊魂、そして天球の質料たる天球自身(天球を形成している素材)です。私が理解した限りでは知性が神を理解し、この神を理解しているところの知性の完成度に近づきたいと天球の霊魂が願うことで、霊魂と質料の結合体であるところの天球自身が回転するという構造になっています。
この4つの要素はまたこれらが存在するにいたった過程をも説明するように構想されています。まず神から第一の知性が流出します。この知性が神を理解することで、さらに一つ下位の知性が生まれます。
神→知性1→知性2
さらに知性1は自分自身のことを理解して、この理解から天球の霊魂と質料が生まれます。
知性1→霊魂と質料
この過程が繰り返されることで天の仕組みは形成されます。
神→知性1→知性2→知性3→…
霊魂 霊魂
質料 質料
この理論をアヴェロエスが批判するときに彼は「四つ組」という言葉を使います。どうやらこれは知性から(知性、霊魂、質料)が生まれることを念頭に置き、これらすべてをセットとして考えた四つ組のことを指しているようです。
さて以上の説明からもわかるように、実は私はアヴィセンナの述べていることをほとんど理解していません。たとえば神から第一の知性が流出する仕組みはどのようなものなのか。なぜ知性が自己認識をすると、そこから霊魂と質料が生まれるのか。そうして生まれた霊魂が知性の持つ完成度を望むとどうして円運動が起こるのか。そもそもなぜ知性が直接天球を動かすと考えてはいけないのか。あるいは霊魂が天球を動かすならば知性を想定する必要はないのではないか。その他にも様々な問題が残されています。