擬アヴィセンナ『天と地について』の校訂・翻訳

Pseudo-Avicenna Liber Celi Et Mundi: A Critical Edition (Aristoteles Semitico-Latinus, 14)

Pseudo-Avicenna Liber Celi Et Mundi: A Critical Edition (Aristoteles Semitico-Latinus, 14)

 Aristoteles Semitico-Latinusの一環として出されたものです。またまた4年前にアダムさんが紹介しています。

 1508年にヴェネツィアで出されたアヴィセンナ全集には16の章からなる『天と地について』という著作が収められていました。この全集ではアヴィセンナに帰され、また現存する写本のうちの二つも彼を作者としており、さらにはアルベルトゥス・マグヌスが『治癒の書』の一部として引用してすらいます。しかしこの著作はアヴィセンナの手になるものではありません。それは実際の『治癒の書』の同じ問題を扱った箇所を見れば明らかです。とはいえこれが最初からラテン語圏で編まれたとも言えません。というのも写本上の証拠とラテン語にみられる文体上の特徴から、この著作がアラビア語から訳され、さらにその翻訳の中心にグンディサリヌスがいたことは間違いないからです。翻訳の時期は1150年から1175年までのどこかではないかと推測されます。ではこれは誰の著作なのか。Gutmanは既存のフナイン・イブン・イスハーク説が正解である可能性を留保しながらも、フナイン以後の別人による作である可能性があるとしています。要するに著者が誰であるかは確定しがたいと。

 このブログを読んでいる人でフナインに関心がある人(というか矢口直英さん)は、

  • M. A. Alonso, "Hunayn traducido al Latin por Ibn Dawūd y Domingo Gundisalvo," Al-Andalus 16 (1951): 37-47

と合わせて読むといいんじゃないかな。

 中身で興味深いというか単に好奇心をそそられたのは世界の単一性を論じた次の一節です。

もし天球の動者がそれを自らの意志で動かしているならば、別の世界があることは不可能である。というのももし別の世界があって[あるのに?]、この世界の人間たちがあちらの世界の仕事を担っておらず、またあちらの世界の人間がこちらの世界に来ることもなく、さらに両世界の住民が一つの世界に集まることが望ましいことであるならば、そのとき神の意志の公平性は一つしか世界がないとわたしたちが思うようにしたということであるから(138)。

意味が取りにくい文章なのですけど、とにかく別の世界があるならそこには人間がいるはずで、もしそいつらがこちらの世界にやってきていないならば、やっぱり別の世界なんてないんだ、と論じています。正直この議論の背景は全然分かりません。もし分かる人がいたらご一報を。