アヴィセンナの知性論, McGinnis, Avicenna, ch. 5

Avicenna (Great Medieval Thinkers)

Avicenna (Great Medieval Thinkers)

 アヴィセンナ哲学の基本書から、知性論を扱った部分を読みました。アヴィセンナは人間霊魂の能力のうちの知性を、さらに2つに区分しています。実践知性と理論知性です。このうち理論知性が人間の知性認識を可能にし、それによって人間を他の動物から区別します。知性認識とはあらゆる質料から切り離された抽象的なアイディア(forma intelligibilis 可知的形相)を知性が受け入れることを意味します。知性はあらゆるものの認識に開かれているので、この点であらゆる形相にひらかれている第一質料と似ています。よってアイディアを受け入れる土壌という側面を強調する場合、知性は質料的知性と呼ばれます。質料的と言われるからといって、知性を物質的なものと考えてはなりません。反対に非物質的なアイディアを受容することができる知性もまた非物質的であるとアヴィセンナは強調します。

 知性認識は器官を通した感覚からはじまります。この時点で感覚されたものはまだ事物のもつ雑多な性質を有しています。この雑多な性質をふるいにかけて、人間の身体内で可能なかぎり抽象化された事物の本質は、想像力の内部に保管されます。ここで想像力が保管された(いまだに)質料的な本質を分離したり組み合わせたりして操作していきます。こうして事物の本質を認識する準備が人間の側で整うと、人間からは切り離された能動知性から、真に抽象的な知性認識を可能にする道具の如き形相が、人間の霊魂に流出してき、この降りてきた形相によって、未だ質料的で、それゆえ可能的にしか非物質的アイディアになっていなかった事物の本質が、完全に非物質的な事物の本質についてのアイディアとして、人間の知性に受容されることになります。

 以上のプロセスをアヴィセンナは太陽の比喩を用いて説明します。太陽の光がささない場所に何らかの色を持った事物が置いてあるとします。この事物の色を確認するためには、まず事物を太陽の光の当たる場所に置かねばなりません。事物を移動させるこの段階が、想像力が感覚から抽出された(いまだ質料に囚われた)本質を操作することに当たります。事物が太陽の光のもとに置かれると、太陽から光が与えられます。ここで太陽は能動知性に、光は能動知性から与えられる道具の如き形相に、光に照らされて見えるようになる色が事物の抽象的アイディアに、最後にその色を見る目が人間の知性に対応します。

 アヴィセンナにとって能動知性とは(明言こそしていないものの)形相付与者にほかなりません。これらが同一であることは、アヴィセンナの世界観の一つの基本原則を指し示しています。その原則とは、何か変化が起こるときには、その変化を引き起こすのは月下世界の外部にあるものであり、その外部にあるものは変化を引き受ける側の準備が整い次第即座に変化を引き起こすというものです。この外部の作用者が知性認識の場合は能動知性と呼ばれ、生成消滅の時には形相付与者と呼ばれます。しかしこれらは実は同一で、しかも知性認識の際に認識される事物の抽象的本質というのはそもそも形相付与者から与えられた形相に他ならないので、要するにこれらすべての過程は能動知性=形相付与者の支配下にあることになります。