アヴィセンナ、イスラム神学、アヴェロエスの戦略 Bertolacci, "Averroes against Avicenna"

  • Amos Bertolacci, "Averroes against Avicenna on Human Spontaneous Generation: The Starting-Point of a Lasting Debate," Renaissance Averroism and Its Aftermath: Arabic Philosophy in Early Modern Europe, ed. Anna Akasoy and Guido Giglioni (Dordrecht: Springer, 2013), 37-54.

 かつての哲学者が示す奇妙な解釈を入り口として、その解釈の前提とそこに込められた戦略を解きあかす論考である。力作である。

 アヴェロエス哲学の目標の一つは、アヴィセンナの哲学を体系的に否定することであった。アヴェロエスが攻撃した学説のうちに、人間が自然発生するものがあった。アヴェロエスによれば、アヴィセンナは人間が土から自然発生すると考えた。このような誤りにアヴィセンナが陥ったのは、彼がアシュアリー派に通じていたからだという。イスラム神学から学ぶことで、哲学的に容認出来ない学説をアヴィセンナは指示するにいたったというわけだ。

 だがアヴェロエスの議論にはさまざまな錯誤がみられる。まずアヴィセンナは人間が土から自然発生するとは考えていなかった。複数の要素の混合からしか人間は生まれない。またアヴェロエスアヴィセンナの学説をあたかもイスラム神学の帰結であるようにみなしているものの、実際にはアヴィセンナの見解の背景にあったのは古代ギリシア以来の哲学の伝統であった。そもそもアヴィセンナの人間自然発生論は反宗教的な意味をもっていた。かつての洪水は全地球規模ものであった。すべての人間はそれで死んだ。善き人間だけを神が生き残らせたということはない。神はそのように世界に介入しない。介入する神は十分に超越的でない。だがかつて人間がすべて死んだとなると、どうしてまだ人間がいるのか。それは人間が自然発生するからだ。アヴィセンナの議論はこのようなものであった。

 ではアヴェロエスはどうして人間の自然発生説を神学より来たると考えたのだろう。鍵は彼のガザーリー解釈にある。アヴェロエスガザーリーアシュアリー派神学者と分類していた。ガザーリーは復活を正当化するために、通常の発生のときにさまざまな要素からついには人間が生まれるように、神はこの過程を瞬間的に実現することで人間を復活させることができると論じた。ここでガザーリーは人間が自然発生するとはいっていない。まして土だけから自然発生するとは主張していない。むしろ彼は人間の自然発生を否定していた。だがアヴェロエスは、このガザーリーの言明を神学者ガザーリーによる哲学者への譲歩であると解釈した。ガザーリー神学者として本来は人間の土からの自然発生を支持していた(『コーラン』には人間が塵、泥、土からつくられたという記述がある)。にもかかわらずガザーリーはここで適切な素材からしか人間は生まれないという哲学者の議論に譲歩してみせているというのだ。このように神学者ガザーリーが解釈されたならば、それがアヴェロエスが理解したところのアヴィセンナの見解と近いとされるのも理解できる。

 人間の自然発生をめぐるアヴェロエスの議論は二重に不正確であった。それは哲学者アヴィセンナの見解も、神学者ガザーリーの見解も歪めて解釈していた。二重の歪みを通すことで、アヴィセンナイスラム神学が土からの人間の自然発生という点で重なったのである。こうしてアヴィセンナに論証的哲学をより劣る弁証的神学(カラーム)と混同するという誤ちをおかした批判が向けられるようになった。ここからアヴィセンナの哲学の正当性を掘り崩すこと、アヴェロエスの狙いはこれであった。