形象なのかヴィジョンなのか 天使の個物認識論

 週末にいろいろあった疲れのためかいまいち集中力が出ず、執筆もあまり進みませんでした。

 いまは天使(知性)は個物を認識することができるかという問題について書いています。まさにスコラ的な不毛な問いに思えますけど、昔の人にとっては天使の実在性というのは、人間のそれと同じくらい疑いようのないものでした。だから世の中のあらゆる事象に同じような分析道具を適用して説明を施そうとするスコラ哲学者たちにとって、天使の認識論というのは避けて通れないものでした。

 トマス・アクィナスによれば天使が個物を認識できるのは、天使が個物のいわばイデアのようなもの(形象speciesと彼は呼びます)を生得的に持っているからです。個物のモデルのようなものをうちに有しているため、感覚器官を持たない天使であっても、地上にある個物について知ることが出来るというわけです。

 スカリゲルはこの意見に反対して、天使は普遍についてのイデア(的なもの)は生得的に持っているけれど、個物についてのそれは持たないと主張します。彼によれば天使が個物について知ることができるのは、天使が「神的なヴィジョン」にアクセスできるからです。

 このヴィジョンというのがいったい何なのかについて詳しい解説はありません。ただいくつかのことは分かります。まずこのビジョンは一種の貯蔵庫のようなものです。何を貯蔵しているかというと、事物のイデア、つまり個々の事物のモデルのようなものが収められています。この貯蔵庫は神によって管理されていて、神は天使たちに知ってもらいたいと思う物のイデアを貯蔵庫内においておきます。こうすることで神の意図に沿う形で天使たちは個物を認識することになります。