- 作者: 井筒俊彦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/01/01
- メディア: 文庫
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全てものが生じるということは、要するに変化することであり、変化には必ず基体がなければならないが、変化の基体をなすものが質料である。かつてアヴィセンナはこの質料に上から形相を賦与することが神の創造行為にほかならないと主張して宇宙無始論を緩和しようとしたが、イブン・ルシドは断乎としてこの説を拒否する。彼によれば質料は絶対に無始であるのみならず、それは形相を容れる一種の容器として、ありとあらゆる形相を始めから潜勢的可能的に含有しているのであって、形相は質料に対して外部から付与される何か新しいものではない。質料のなかに元来潜在している形相を引き出して現実化する(現勢態にもたらす)ことがいわゆる創造なのである。何物も無から創造されるということはないのである。無からは何ものも生じない。生成が起こるには必ずそこに基体がなければならぬ。そして基体としての質料には、いわば胚芽としての形相が内在しているのである。月下圏の諸存在者(つまり我々の言葉で言えば経験界の諸物)は悉く質料と形相の結合したものであって、その形相と質料との関係は上記の通りであるという見解はイブン・ルシドの形而上学の基本的特徴の一つである。(356頁)
実に見事な説明です。
しかし「質料には、いわば胚芽としての形相が内在しているのである」という記述はアヴェロエスの著作のどの部分によったものなのでしょう?