形相の複数説とアヴェロエス

 大切なことが書かれているように思われるものの、私にはまだその肝をとりだすことができていません。

 問題の中心となっているのは、アヴェロエス形而上学大注解』の第1巻第17テキストです。そこには質料は「まず普遍的な形相を受け取り、その後普遍的な形相の仲介によって別の形相を個別的な形相に至るまで受け取る」と書かれています。

 ここで本当にアヴェロエスが何を言いたかったかはともかくとして、この部分はラテン中世で議論の焦点となります。なぜなら一部のスコラ学者たちはここでアヴェロエスが単一の事物に複数の形相を認めていると考えたからです。そのうちの一人がキルウォードビです。彼によれば、質料が普遍的な形相から出発し、より個別的な形相を受け取るということは、最終的に生じる個物のなかにそれまで受け取ってきたより普遍的な形相が(可能態として?)残っていることを意味します。まさにこの肝心の主張がよく分からないのですけど、どうやらアウグスティヌスに由来する種子的理性の考えを援用して、普遍的形相が個別的形相へと自発的に発展していき、しかも発展後にも発展前の段階が何らかの形で残っているということを主張するようです。

 こうしてアヴェロエスを根拠に形相の複数存在説を正当化し、さらにはその説を利用してキリストの受肉やマリアの受胎を整合的に説明するということをキルウォードビは行っています。簡単に言えば、二つの本質が一つの個体に共存できると考えた方が、キリストが神であり人間であるということを説明しやすいということです。