形相の単数説と複数説 Pasnau, Metaphysical Themes, ch. 25

Metaphysical Themes 1274-1671

Metaphysical Themes 1274-1671

  • Robert Pasnau, Metaphysical Themes 1274–1671 (Oxford: Clarendon Press, 2011), 574–605.

 Pasnauの大著から、形相の複数性をめぐる論争を扱った章を読みました(25章)。

 上の記事で書いたのと同じように死体の問題が焦点となります。トマス・アクィナスはあらゆる実体は実体形相と第一質料から成り立つと考えました。しかしそうすると死体の肌の色とかその他もろもろの性質が生きていたときのものと同じであるということがうまく説明できなくなります。ある人が生きていたときの肌の色は、その人の実体形相によって実現されています。しかし死体となればその実体形相は消滅し、代わりに死体の実体形相が体に現れているあらゆる性質を実現しているはずです。ではなぜ異なる二つの実体形相が同じ肌の色を実現しているのか。生きているときの肌の色と死んでいるときの肌の色は単に色の見え方として同じというだけでなく、同一の色が存続しているように見えるというのに。

 ここからたとえば人間というのは人間の形相と、体として存在する質料を質料たらしめている「物体性の形相」という二つの形相を持っているのだという説が出てきます(スコトゥス)。これが形相の複数説。これはいろいろな種類があって、例えばザバレラは2つではなくて体のすべての部位がそれぞれ独立した形相を有しているのだと主張していました。

 この複数説に立つと上記の死体の例はうまく説明することができます。人間が死ねば人間の実体形相は確かに消滅する。しかし体を体たらしめていた形相は存続する。よって体に実現していた肌の色などの性質は、生きていた時と同じように死体においても実現される。

 しかし複数説はこの利点と引換に大きな難点を抱えました。それは「人間が形相を複数持っているとすると、どうやって人間の実体形相(理性的霊魂)はそれらの複数の形相からなるものを一つの実体として成り立たせているの?」というものです。アクィナスの立場に立てば、人間が持つ唯一の実体形相が人間を一つの実体たらしめていると簡単に結論が出せます。しかし複数説に立つとそうはいきません。

 この難問に対して出されていた一つの解答は次のようなものです。さまざまな形相というのはそれらが組み合わされたときに一定の機能を果たすように神によって設計されている。したがって例えば人間の場合、人間の理性的霊魂のもとに腕の形相や足の形相が適切に従属することによって、複数の形相を持ちながら機能的に一体性を保った一つの実体が出現することになる。

 以上から分かるように単数説と複数説の対立というのは、実体の変化と単一性をどう両立させるかという問題であったことがわかります。単数説に立てば単一性をうまく 説明できる一方、時間的な変化を説明しにくくなります。たいして複数説に立てば変化はうまく説明できるものの、単一性が説明困難になります。

 単数説に立っていたのは:アクィナス、リミニのグレゴリウス、ジャン・ビュリダン、インゲンのマルシリウス、アリアコのペトルス、スアレス、その他のイエズス会士。

 複数説に立っていたのは:ゲントのヘンリクス、スコトゥス、オッカム、John of Jandun、ニコール・オレム、ヴェネツィアパウルス、アゴスティノ・ニフォ、ザバレラ。