- Thomas M. Ward, "Animals, Animal Parts, and Hylomorphism: John Duns Scotus's Pluralism about Substantial Form," Journal of the History of Philosophy 50 (2012): 531-57.
スコトゥスは複合体のうちに複数の形相があると考えた。複合体として動物を考えよう。まず動物は感覚的霊魂を持つ。この霊魂により動物は当の動物となっている。だがそれだけが動物がもつ形相ではない。動物の身体は心臓や肝臓といった様々な部位から成り立っており、これらの部位のそれぞれがそれぞれの実体形相を有している。この見解はアクィナスの単数説と対立している。同時に一般的な複数説とも対立している。一般的な複数説は感覚霊魂の他に、身体の形相(forma corporeitatis)だけを認める。スコトゥスは身体がひとつの形相を持つことを否定し、代わりに部位ごとに多数の形相を認めている。
この論文はスコトゥスの単数説と一般的複数説への反論をまず吟味する。その後スコトゥスが一般的複数説論者のように、身体の形相を認めていたと読める箇所について、そのような解釈(Richard Crossのもの[Robart Pasnauも])は不適当であると主張する。最後に、それぞれ独自の形相を持つ多数の部位が、どうして一体の複合体を形成しうるのかという問いにスコトゥスがどう答えたかについての解釈を提出している。
ここでは最後の解釈だけごくごく簡単にまとめておく。スコトゥスにとって身体の各部位がつくる一体性は中間的なものであった。それらは小麦の堆積よりは高い一体性を生み出している。だが実体形相とそれが生みだす付帯的性質の組み合わせほどには一体性は高くない。この中間的一体性はいかなる一体性なのか。それは「秩序の一体性 unitas ordinis」であるというのがスコトゥスの答えであった。「秩序の一体性」とは何か。これは各部位が因果の観点から秩序づけられているという事態を指している。すべての部位は全体としての身体のためにある。またすべての部位は全体としての身体を生みだす作用をになっている。この意味で各部位は全体としての身体にたいして、目的因の観点からか作用因の観点からか秩序づけられている。このような秩序を形成しているがゆえに、各部位の集合に一体性が認められる。だからこそそれらすべてはひとつの感覚的霊魂にとっての可能態となることができる。
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