単数説と複数説の起源 Callus, "The Origins of the Problem of the Unity of Form

The Dignity of Science; Studies in the Philosophy of Science

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  • Daniel A. Callus, "The Origins of the Problem of the Unity of Form," in The Dignity of Science: Studies in the Philosophy of Science Presented to William Humbert Kane, O. P., ed. James A. Weisheipl (Washington: Thomist Press, 1961), 121-49.

 ひとつの複合体のうちにいくつ実体形相を認めるべきか。この問題が激しい論争の的となったのは、トマス・アクィナス以降である。しかしアクィナス以前にも同種の問題がおよそ半世紀のあいだ議論されていた。そのとき問題となっていたのは、複合体一般ではなく、霊魂であった。とりわけ人間の霊魂が議論の焦点となっていた。人間は栄養摂取、感覚、理性の霊魂のそれぞれを別々の霊魂として持っているのか(複数説)。それともひとつの理性的霊魂が、栄養摂取、感覚、思惟をすべてつかさどるのか(単一説)。

 この論争の起源は明確ではない。しかしひとつにはアヴィセンナが『治癒』の「霊魂論」で単一説を唱えており、これをグンディサリヌスが体系化して紹介・支持したことによって、ラテン中世に単一説がもたらされた。複数説の流入もまたグンディサリヌスに多くを負う。彼はその著作のなかでアヴィケブロンによる複数説を詳細に紹介したのである。アヴィケブロンによれば、すべての事物は普遍的形相と普遍的質料の結合体に、さまざまな種類の形相が加わることで成りたっている。こうしてアヴィセンナの単数説とアヴィケブロンの複数説がグンディサリヌスを経由してラテン中世世界にもたらされた。

 これらの問題がいつからオックスフォードとパリで議論されはじめたかは不確かである。しかしオックスフォードではAlfredus Anglicusが『心臓の運動について』でこの問題をとりあげ、すべての生物には霊魂はひとつしかないと宣言している。パリではJohn Blundが1210年以前に書かれた霊魂論のなかでやはり霊魂の単数説を支持している。続いてパリ大学の最初のドミニコ会教師であるクレモナのRolandも単数説を支持した。彼は次のように複数説を批判する。複数説の根拠として、子宮内で胎児が理性的霊魂を持つ以前に成長していることがあげられる。これは理性的霊魂とは独立に胎児が栄養摂取霊魂を持っていることの証拠であるというのだ。これにたいしてRolandは反論する。胎児は身体が形成され理性的霊魂があたえられるまではある意味では母の一部なのだから、理性的霊魂なしで成長している胎児に独立した栄養摂取霊魂を帰すことはできない。以上からわかるように、この問題がラテン中世にはいったとき、最初の反応は単数説に好意的なものによってしめられていた。