17世紀の粒子論と化学 Clericuzio, Elements, ch. 2

 17世紀の物質論に関する通説に挑戦したことで高い評価を得ている基本書の最初の2章を読み返しました(1–74頁)。各思想家の下した結論だけがずらずらと並べられているため分析に深みが欠ける点は否めないものの、そのことは間口を広くするというよい方向にも作用しています。17世紀の物質理論研究の現状を知ろうと思えばここから入るべきです。

 17世紀には原子・粒子論によってアリストテレス的な実体形相の理論が置き換えられた。原子・粒子論をロバート・ボイルが化学実験により正当化することで、化学の領域が機械論化され、結果としてパラケルスス主義的の錬金術から近代化学への一歩が踏み出された。

 このような伝統的な見解にたいして著者は次のような事実を提示します。17世紀に粒子論が出現するきっかけとなったミニマ・ナトゥラリアと種子の理論はアリストテレスの元素や形相の理論と両立する形で構想されていましたし、これらの理論を援用して粒子論を提唱したゼンネルトは形相を持つ原子の実在性を化学実験を用いて立証しようとしていました。またパラケルスス主義の影響力が強かったフランスでは、原子論・粒子論は化学的物質理解と組み合わされアリストテレス主義に対する対抗理論とされていました。原子論と化学論の融合はピエール・ガッサンディの哲学に典型的に見られるものです。17世紀の粒子論を真に理解しようとすれば、化学理論を取り込んだガッサンディの原子論と、そこからの断絶を試みたデカルトの粒子論との違いに敏感でならなければならないと著者は論じています。