イングランドの戦争神経症

 大規模な戦争の経験が社会での精神病の立ち位置を変質させたことを論じる論文です。大戦当時のイングランドでは精神病患者の入院には治安判事の許可が必要だとされていました。これに対して精神科医たちはこのような規定は入院を刑事的事象であると人々に認識させ、精神病に罹患することを汚辱とみなす観念を助長し、結果として人々に病院へかかることを忌避させて症状をいたずらに悪化させることになると批判していました。すでに別の論文で高林さんが論じているように、医師たちのこのような主張の背後には、入院措置や病院の新規設立に関する厳しい規定を除去して、自らの社会経済的上昇回路を確保しようという願望がありました。

 このような状況下で大戦により兵士たちのなかに大量の戦争神経症患者が出現します。彼らの一部分は精神病院に入院することになります。この時、上記のような規定によっても強化されていた精神疾患とそれにともなう入院措置への否定的感情がさまざまな方面から噴出します。議会の議員たちは兵士たちを精神病院という社会的汚名と結びつく場所で治療することは相応しくないという抗議を行いました。精神科医たちは治療に法的証明書を必要とする規定が精神病への否定的見解を醸成し、早期治療を妨げ、結果として戦争神経症の治療を困難にしているとして、上記の規定を変更するよう求める運動をはじめます。一方で、大量の戦争神経症患者を社会的汚名と結びついていた精神病ではなく、神経症として治療することが求められ、従来精神科医たちが独占していた医療市場に神経科医たちが参入してくることになりました。

 これら一連の動きはさまざまな集団が自己の利害関心に照らしあわせて、戦争神経症患者の大量出現に対処しようとした結果として生じたものでした。これらの運動をより俯瞰的な視点から考察するならば、精神病を社会的汚辱を与える疾患とみなし、その患者を精神病院へ入院させ隔離するという方策が、大戦により国家の男性人口の多くが戦争神経症に罹患するという事態の出現によって行き詰まったことを意味します。

戦争神経症の多発とは歴史上類を見ない規模で起こった精神疾患の一般化であり、それにより、近代社会は精神疾患への対処方法の変更を迫られていった。精神疾患を完全なる社会のアウトキャストとすることが、戦争神経症の多発で限界を露呈したのである。これ以後の精神疾患の社会的コードは、社会的排除ではなく、誰にでも起こりうることとして包摂へと徐々に向かうことになる。

 国家のために戦ったという名誉を与えられるべき兵士たちが、社会的汚辱と結びついた精神疾患に罹患することが、精神病の社会的コードを変質させていくという着眼点がすばらしい。

参考