中世末期の本 ヴェルジェ『ヨーロッパ中世末期の学識者』第3章

ヨーロッパ中世末期の学識者

ヨーロッパ中世末期の学識者

  • J・ヴェルジェ『ヨーロッパ中世末期の学識者』野口洋二訳、創文社、2002年。

 14世紀終わりごろから15世紀終わりごろまでの本について論じた第3章を読みました(101–124頁)。

 本は高い。本は手書きで写されてつくられます。質の高い仕事をする写字生は1日に2葉半、つまりいまの頁で換算すると5頁ほどしか写しを行なえません。これは200葉の本を1年で5冊しかつくれないことになります。なんという人件費。結果的に本は高くなります。1400年頃のパリの平均価格は公証人や王の秘書官の1週間の給料にあたります。つまり無理をして1ヶ月に一冊買い続けても、20年で240冊にしかなりません。実際この時代に200冊を超える個人蔵書を有していた人々はまれでした。1405年に死亡した枢機卿が有していた320冊の蔵書というのはそれはもうものすごいコレクションだったのでしょう。

 図書室にはより多くの本がありました。1380年に死亡したシャルル5世の書庫には1300冊があり、ウルバヌス5世(1370年没)は2000冊を有していました。モンテ・カッシーノには1100冊というように司教座聖堂修道院も大規模な図書室を有していました。大学の寄宿舎も多くの蔵書を誇り、ソルボンヌ寮は1338年にすでに1722冊、オックスフォードのマートンカレッジには500冊(14世紀末)がありました。

 これらの本の多くはラテン語によって書かれた基礎的書物によって占められていました。法学書、医学書、神学書、文法書といった具合です。たとえばパリの高等法院の人々は歴史や古典、および俗語の書籍はほとんどもっていませんでした。一方それと同じ時代に、公証人や王の秘書官たちの間ではペトラルカ風の人文主義が広まり、フランス語の書籍が増加していたことも事実です。しかし全体的としては「法律的、学問的、ラテン〔語〕的」傾向が強く、これは「中世の学問的教養が持続的な同一性を持つとともに強い保守的傾向を持っていたことを示していよう」。