- 作者: 岡田温司
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/11/19
- メディア: 新書
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死者の身体、とりわけ顔の形をこの世にとどめておく営みについて書かれた新刊書を手に取りました。今日読んだのは最初の3章です(1–88頁)。すでに紀元前8000年から6000年頃にパレスチナのエリコでは死者を埋葬したあとに、土の中でそれが骨だけになった段階で頭蓋骨を掘り起こして生前の姿そっくりに加工するということが行われていたそうです。こうして復元された頭蓋骨がどのような用いられ方をされたかについて確かなことは分かっていません。いずれにせよ人類の頭蓋崇拝というのは非常に古いものであったことがわかります。
古代ローマの文献にも、元老院議員を輩出するような由緒正しい家には先祖の人々そっくりにつくられた蝋の面が飾られていたことが書かれています。これらの面は家の誰かが死ぬと葬送行列の場に持ち出され、それによってその家の伝統と名誉が誇示されることになっていました。このような面はイマギネス(imagines)と呼ばれます。残念ながらイマギネスはひとつも残っていません。しかし古代ローマの遺跡からは若くしてしんだ子供をかたどってつくられたデスマスクが出土するなど、時代が下ってからは死者にそっくりの面を保存する風習が元老議員を輩出したような家だけではなくて有力市民にまで広まっていたのではないかと考えられています。
死者の顔を留めるという風習は時代をくだって、王や教皇が死んだ際にも行われるようになります。フランスでもイングランドでも王が死ぬとすぐにデスマスクがとられ、それをもとに人形がつくられました。この人形を中心にしてその後はあたかもまだ王が生きているかのような儀式が2ヶ月間に渡って行われ、その後になってようやく新王が誕生し、先代の王は「死ぬ」ことになります。
教皇の場合はデスマスクから人形がつくられるのではなく、むしろ死んだ身体を用いた儀式が9日間に渡って行われていました(13世紀末頃から形成されはじめる風習だそうです)。この際に重要になるのが遺体の防腐処理です。このやり方がウルバヌス5世(2,000冊の図書を持っていた人ですね)につかえたピエトロ・アメッリの儀典書によって伝えられています。この記述は実に興味深い(72頁)。
死体の身体を中心とした喪の儀式以外にも、教皇や枢機卿たちは自らの顔や身体の記憶を墓碑彫刻という形で残しました。特に教皇ボニファティウス8世は選出されるやいなや墓碑彫刻の製作に着手し、それをカトリック世界の中心たるサン・ピエトロ大聖堂におきました(通常は教皇の出身地やゆかりの教会につくられる)。また彼はこの他にも各地の教皇派都市に自らの彫像を設置させました。これらの行為は教皇至上主義をとなえてやまなかった教皇ならではと言えます。この人物については漫画『チェーザレ』でもつっこんだ考察がなされていますので、興味のある方はそちらもご覧ください。
広範な時代と地域にわたって多くの地名や人名が次から次へと現れる情報量が多い本でありながら、書きぶりはたいへん丁寧で読みやすいものに仕上がっています。新書とはかくあるべきかと思わせます。またさすが美術史家だけあって図版の使い方が絶妙です。議論を絵にのせるのが非常にうまい。いやこれは何気なくされていますけどプロの業ですね。おすすめです。