Bursting the Limits of Time: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Revolution
- 作者: Martin J. S. Rudwick
- 出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr
- 発売日: 2007/04/15
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地球には歴史がある。その歴史は地球上に残された痕跡から再構成することが可能である。このような考えは私たちにとっては至極当然のことのように思われます。しかしこの前提が共有されるようになったのはわずか200年ほど前、つまり1800年頃のことでした。ラドウィックの『時間の限界を突破する』はこの地球の歴史の再構成という営みがいかにして現れたかを調べた研究です。
この本はその調査の量と構成の見事さと文章の流麗さとその他いろいろがあいまって、まさにあいた口が塞がらないといったたぐいの研究になっています。この記念碑的な研究にたいしてはいくつもの書評が出ていまして、今日はそのうち代表的なものをいくつか読みました。そのなかでも面白かったのがMetascienceという雑誌で組まれた書評シンポジウムです。これはGabriel Gohau, Simon Schaffer, James Secordというそうそうたる顔ぶれの人たちがそれぞれラドウィックの本に対してエッセイレビューを寄せ、それにラドウィック本人が応答するという構成になっています。
- “Review Symposium: The Geohistorical Revolution; Martin J. S. Rudwick, Bursting the Limits of Time: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Revolution,” Metascience 16 (2007): 359–95.
このうちSchafferとSecordの指摘にはメモしておくべき点があると思いました。ラドウィックによれば、地球の歴史の再構成という活動が依拠する着想と方法論を提供した源泉の一つに、歴史学がありました。この歴史学というのは伝統的な文字資料に基づいたものだけではなく、遺跡やそこから見つかる遺物を手がかりに過去を再構成しようとする考古学(あるいは当時の言葉で言えばantiquarianな性質の歴史学)を指しています。物的証拠をもとに人間の過去を再構成する営みが、やはり地表面に残された物的証拠をもとに地球の歴史を再構成できるという着想につながったというのです。
Schafferはこの主張の有効性を認めながらもう一つの重要な着想源の可能性を指摘しています。それは当時の天文学です。人間の想像力をはるかに超えるほど遠くにある天体やそこで働いている力について語ることを可能にして、いわば空間の限界を突破することを可能にしたのが天文学です。キュビエはこれにならい自らの地質学の営みを時間の限界を突破する、つまり人間という種族の短い時間スケールをはるかに超えた、人間が生まれる以前の歴史を探求することを可能にする学問だと捉えていました。この地質学と天文学との関わりはさらなる探求に価するだろうとSchafferは考えています。
Secordの指摘はラドウィックの調査対象の設定の仕方への批判となっています。ラドウィックによれば、地球をめぐるさまざまな科学的活動には確かに女性も含めた多様な階層、職種の人々が参画していた。しかし地球の歴史を再構成するという活動が現れることにつながるような意見が表明され、知識が蓄積され、理論が洗練されていったのはあくまで男性のエリート知識人(savants)たちによってであった。したがって、彼らが行っていた活動に焦点を絞ることは方法論的に正当化される。
しかしSecordが問うに、そもそも誰が知識人であったのか?例えばラドウィックが取り上げている1790年の知識人と1820年の知識人は同じ知識人(savants)といっても性質を異にするのではないか。革命による政治的激動は知識人のキャリアパスのあり方を大きく変えました。また学術成果の発表媒体として雑誌の重要性が(印刷技術の向上と歩調を合わせて)上昇してきていました。さらに地球の理論への関心は、アカデミーに所属するような知識人だけでなく、フランスの知的サロンにひろく共有されており、多くの作品が アカデミー外で生み出されていました。これらの外部の著者、読者の関心によっても知識人たちの著述活動は規定されていたはずです。一群の問題を解くために研究を行いネットワークを形成する一体性の高い集団というあまりに現代科学に引きずられた知識人像をラドウィックは念頭においている。しかし当時は知識人のあり方自体が再編成の過程にあり、またその共同体は外部との接触と交渉によって方向づけられていたことを忘れてはならない。これがSecordのメッセージです。
このSecordの指摘に対するラドウィックの応答は、すでに1780年の時点で現代科学の担い手たちと同じく、共通の問題に取り込むことによって特徴づけられる知識人というものが出現しているのだ、というものです。このような知識人層が形成されたのは1700年代の半ばのことではないかとラドウィックは推測しています。ここで隠岐さや香の『科学アカデミーと「有用な科学」』を思い出さないでいることは難しい(名古屋大学出版会、2011年)。もしラドウィックやSecordが隠岐さんの作品を読むことができていたら、ここでどういう意見交換が行われたのか。それを想像するのは楽しいことであると同時に、それが想像の世界でしか実現しないことを残念に思うわけです。
科学アカデミーと「有用な科学」―フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ―
- 作者: 隠岐さや香
- 出版社/メーカー: 名古屋大学出版会
- 発売日: 2011/02/28
- メディア: 単行本
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