アリストテレス以降の混合論

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 アリストテレス以降の混合論を整理するにあたって、有用なのがヤコポ・ザバレラによる『自然の事物について De rebus naturalibus』(ヴェネツィア、1590年)という著作である。この広く読まれた体系書のなかで、ザバレラは4つの解釈を挙げている。第一にアヴィセンナ。第二にアヴェロエス。第三にトマス・アクィナス。第四にドゥンス・スコトゥスである。ザバレラの記述をもとに以下この4つの解釈を簡単に見ておこう。
 アヴィセンナは材料は可能態として保存されるというアリストテレスの言葉を解釈して、「可能態という言葉で彼は形相を意味していた」と述べている。したがって彼の考えでは混合物中で保存されるのは形相である。一方質は保存されることなく相互に作用しあい、それらの中間的な状態になる。この状態が達成されると天の形相付与者から新しい形相が与えられ、それが混合物の形相となる。対してアヴェロエスはこのアヴィセンナの見解は「巨大な不可能性」を帰結させると考えた。もし形相が保存されるなら、どうして混合物が一つの統一された実体となりうるのだろうか。そのため彼は質料だけでなく形相もまた混合物中で相互作用しあうと考えた。この過程は形相と質の両者それぞれの中間的な段階を生み出し、それらが混合物の形相と質になる。しかしそもそも形相というものは混じり合うことが可能なのか。この疑問に対してアヴェロエスは、元素の形相というのは実体と偶有性の中間にあるのだから、他の形相と異なり混じり合うことが可能なのだと返答した。
 アクィナスはこれら2人のアラビアの哲学者のどちらにも組さない見解を提出した。彼もアヴェロエスと同じくアヴィセンナの解釈は混合物の一体性を説明できないと考えた。しかし同時にアヴェロエスのように元素の形相に中間的な地位を与えることも不可能だとした。アクィナスにとって元素の形相は例外ではなく、それゆえ他のすべての形相と同じく混じり合うことはない。アクィナスが下した結論は、保存されることも混じり合うこともない以上、形相は混合物中では消滅すると考えるべきだというものであった。形相は消滅する一方で、質は混じり合う。そのため混合物は古い質がまじりあったものと、新しい形相から構成されることになる。これに対してスコトゥスは形相が消滅するのに、それに従属していた質が残って混じり合うというのは不合理だと考えた。そのため彼の意見では形相だけでなく質も混合物中では消滅し、新しい形相と質のペアによって置き換えられる。しかしもしそうなら混合物が材料との関連性を全く失ってしまうのではないか。この疑問に対してスコトゥスは混合物中の形相と質料は、材料の形相と質料と類似性、共通性を持っているので、混合物は材料の混合物と主張しうると答えた。
 以上の4つの見解はそれぞれ短所と長所を持っていた。アヴィセンナの見解は形相が相互に混じりあうという理解が難しい帰結を避けることができた。しかしこれは混合と並列の区別を困難にするという代償をともなった。アヴェロエスの見解は形相が混じり合うことで新しい形相が現れるとすることで、アヴィセンナにつきまとっていた難点を回避することができた。しかしそこではアヴィセンナが避けることができた形相相互の混じり合いという難点が復活している。これに対してアクィナスとスコトゥスの見解は形相が消滅するとすることで、アヴィセンナアヴェロエスの難点を解消した。しかしこれにより、混合物中の材料の分離可能性が説明できなくなった。たとえば水とワインの混合物から材料が再度分離されるという現象は、これら材料の形相が一度消滅してしまっていたとしたらどうやって説明できるのだろう。このように質料形相論の枠組みでアリストテレスの混合論を説明しようという試みは解決の兆しをみせないまま16世紀を迎えることになった。