祭壇画の再構成

祭壇画の解体学―サッセッタからティントレットへ (イメージの探検学)

祭壇画の解体学―サッセッタからティントレットへ (イメージの探検学)

  • 遠山公一「サッセッタ《サンセポルクロ両面祭壇画》」遠山編『祭壇画の解体学:サッセッタからティントレットへ』ありな書房、2011年、7–57頁。

 まるで推理小説のようなおもしろさを備えた論考を読みました。イタリアのサンセポルクロという町にサン・フランチェスコ聖堂があります。ここにはラニエリ・ラジーニ(1304年死去)という福者が葬られた墓があり、その墓の上に祭壇が置かれています。この祭壇を飾るための祭壇画が1444年に設置されました。描いたのはサッセッタ(本名 ステーファノ・ディ・ジョヴァンニ)というシエナ派の画家です。この祭壇画は表裏の両面構成になっており、50枚程度の絵の組み合わせから成り立っていたと思われます。しかしこれらの絵は1500年代の後半に解体され、1810年までのあいだに売却されてしましました。作者サッセッタが忘れ去られたこともあり、それら(のうち廃棄されなかったもの)は20世紀に入るまで注目を集めることなく眠り続けることになります。

 20世紀初頭にサッセッタという画家とこの祭壇画がセットになって見出されて以降、多くの美術史家たちが一つの問題に取り組んできました。それはばらばらになった祭壇画の復元です。まず各地の美術館や個人によって所蔵されているあまたの絵画のうち、どれがこの祭壇画を構成していたものなのかが問題になります。それが分かったとして、それらはどういう配置で並べられていたのか。表にあったのか。裏にあったのか。上部にあったのか、中部にあったのか、下部にあったのか。左右の並び方の順番はどのようなものだったのか。これらの謎を解き明かしてかつての祭壇画を復元するため、美術史家たちは奮闘しました。当時の製作にまつわる文書の解読、画家が好んだ様式、他の祭壇画の諸形式、この絵を発注したフランチェスコ会側の思想、絵についての審美的基準などなどが考慮されることで15世紀の祭壇画の姿が追い求められました。

 このような中、1990年に画期的な論文が刊行されました。聖堂の修道士が画家に送った指示書が発見されたのです。これは「爆弾とも言える破壊力をもった史料であった。すなわち、一世紀におよぶ再発見と再構成の歴史、ジグゾー・バズルとまで言われ錯綜を極めた問題を一挙に解決することを可能とする、いわば回答が記されていた」(40–41頁)。

 これによりまずこの祭壇画を構成していただろうと想定されていた絵が、実際にそうであったことが明らかになりました。さらに議論を呼んでいた聖人たちの絵の配置も、提案されていた有力の案のうち一つが正しかったことが分かります。いやあ美術史家って恐ろしいですね。もちろん考えられていたのとは違う部分もありました。たとえば墓の中にいる福者ラニエリ(リアルミイラとして墓に入っている;その写真が21頁に)の絵は住民からよく見えるように表にあると考えられていたものの、実際は裏面にあったりといったことがありました。

 画期的な史料の発見により一気に再構成は進展したものの、まだ指示書をもってしても解決できないいくつかの配置上の問題がありました。この最後の謎を解消するため、(筆者である遠山さんを含めた)研究者たちはイタリアに結集しモノとしての各絵画を検証し、挙句の果てにはエックス線やら赤外線なんとかグラフィーやらといった技術まで動員して、絵の配置を確定しようとしました。その結果、再構成された祭壇画がこの本の冒頭にあるカラーページに収められています。美術史家たちの執念の結晶である在りし日の祭壇画がどんなものであるかって?それはこの本を手にとって確かめてみてください。