原子の証明実験:ロバート・ボイルによるダニエル・ゼンネルトの援用 Newman, Atoms and Alchemy

Atoms And Alchemy: Chymistry And the Experimental Origins of the Scientific Revolution

Atoms And Alchemy: Chymistry And the Experimental Origins of the Scientific Revolution

 ニューマンの『原子と錬金術』から、ボイルがそのキャリアの初期段階でいかにゼンネルトに依存していたかを論じた部分をまとめます(157–175頁)「機械論哲学」という単語をはじめてつかったのはヘンリ・モアではあるものの、この言葉を人口に膾炙させたのはロバート・ボイルです。近代化学の父とも言われるボイルの功績は、物理学の領域で提唱されていた物質観を化学に適用したことに求められてきました。実際にボイル自身も、自分の時代における原子論復興の立役者としてガッサンディ、マグネン、デカルト、ディグビーの名前を挙げており、17世紀のいわゆる新科学から多くを学んでいるような記述を行なっています。

 しかしこの記述が行われている初期のエッセイ『原子論哲学について』をより丁寧に読めば、ボイルがそこで17世紀前半のヴィッテンベルク大学の医学教授であるダニエル・ゼンネルトに大きく依拠しながら、原子論への支持を打ち出していることがわかります。ボイルは金属について次のように書いています。

同質的な物体(それらが本当に同質である場合である。なぜならワインやミルクやその他のものは同質的に見えるけれど実際にはそうでないから)が諸原子から構成されているのは非常に確からしい。なぜならそれらの粒子は非常に小さく、それらが構成しているところの全体と同じ本性を有しているから。

 ここでのボイルの議論は2つの点でゼンネルとのそれと共通です。第一にミルクやワインが実際には同質的ではないと言われている点です(同質性については下記の関連記事参照)。ゼンネルトによればミルクからチーズやバターが分離できることは、それらが微小な水準では異質な諸粒子から成り立っていることを示しています。もう一つは、ボイルがここで金属を構成する原子が金属そのものであると考えていることです。古典的な原子論からすれば原子というものは、すべて完全に一様であり、さまざまな物質というのはその組み合わさり方などによってのみ決まります。原子そのものが、現実に存在するものミニチュアだと考えることはゼンネルトもまた行なっています。

 しかしボイルのゼンネルトへの依拠は、金属が粒子状の物質からなっているということの根拠をボイルが与える際に見てとられます。ボイルは2つの実験をあげています。両方とも銀の融解についての実験で、第一のものは次のようになされます。銀を硝酸で融解させると液体になります。この液体はろ紙を通過します。この液体に炭酸カリウムを加えると再び銀銀が現れます。もう一つの実験は銀と金の合金を硝酸につけると銀だけが溶け出すことです。これらの実験は銀がたとえ溶かされたり合金になっていてもなかで保存されていて、しかもそれはろ紙を通過するほど微小なところまで分解されていることを意味します。これが金属が原子からなることの根拠というわけです。

 実はこの実験からの推論はボイルに独自なものではあありません。独自でないどころか、この2つの実験とそこからの推論がまったく同じ順序でゼンネルトの著作で行われているのです。ここからボイルが『原子論哲学について』で原子の存在の根拠として与えている実験が、実はゼンネルトからとられたものであることがわかります。しかもこの実験はこのエッセイのなかで原子の存在の根拠を与える唯一の議論となっています。他の議論はすべて物体が原子からなることを前提として、その上でそのような前提が決して不合理ではないことを示そうとしているものとなっています。この意味でボイルがその初期の段階で原子論を支持するにいたった決定的な根拠はデカルトガッサンディやディグビーではなくゼンネルトであった。これがニューマンの結論です。