- Vernon Hall, Jr., “Life of Julius Caesar Scaliger,” Transactions of the American Philosophical Society 40 (1950): 85–170.
高貴とは言えない生まれから学知の力で成り上がったスカリゲルは自分の息子たちにも最高の教育を施さねばならないと考えていました。そこで彼はまず長男、続いて次男から四男までをボルドーの学校に送り込みます。このうち後者の3人に行われた教育内容についてはかなり詳細にわたって再構成することができます。スカリゲルは息子たちの教育を学校の教師たち任せにしたのではありませんでした。彼はアジャンにいながらボルドーへ頻繁に手紙を送り、しかるべき教育内容について指示を出しています。これに対して教師たちもスカリゲルに教育内容の問い合わせや息子たちの学習の進捗状況について手紙を送っています。このうち教師たちの手紙が残されており、それが1860年に出された下記の論文に多く引かれています。
- Jules de Bourrousse Laffore, "Jules-César de Lescale (Scaliger), étude biographique," Recueil des travaux de la Société d'agriculture, sciences et arts d'Agen SER2,T1 (1860): 24–69.
- こちらから読めます
実はこの論文の著者が教師側からの書簡群を個人的に所蔵していたようで、20世紀に入ってからHallがその所在を確かめようとしても見つけられなかったそうです。1550年代のボルドーの教育状況を伝える貴重な史料はあえなく散逸してしまったということでしょうか。
それでも1860年の論文から興味深い事実がいくつも分かります。スカリゲルが息子たちにラテン語だけでなくギリシア語も習得して欲しいと強く望んでいたこと。しかし実際にはボルドーではほとんどギリシア語を学ぶことができていなかったこと。教師たちは息子たちの学習状況を伝えるため、息子たちが書いたラテン語の書簡の誤りをあえて訂正せずに父親におくっていたこと。スカリゲルが教師たちから送られてきた読書リストに満足せず、アリストテレスを加えるべきだと主張し、教師たちを困らせていたこと。
お金についても報告があります。たとえば1554年から55年まで3人の息子の教育を主に担当した人物には222フラン6ソルが支払われていました。また教育のために購入した書籍の値段も記録されています。以下が一覧です。単位はソル。複数の息子向けなのでだぶりがありますね。
- オウィディウスの書簡[『黒海からの手紙』?] 20
- ウェルギリウスのバインド代金 1 [製本でもしたのか?]
- キケロからの抜粋集 6
- キケロ『親類縁者宛書簡』 16
- ギリシア語文法 6
- ホラティウス 6
- [ネポス?]『著名な人物について』 10
- 『壊れた説教のなおし方』これ 15
- Textorを2冊 19
- キケロ『アッティクス宛書簡』 28
- ウェルギリウス 15
- メラントンの文法書 9
- カエサルのコメンタリー[『ガリア戦記』のことだろう] 10
- ホラティウス 6
- ポルトガル語辞典 30
- 「詩篇」 12
- キケロ『アッティクス宛書簡』 14
- 新約聖書 15
- ユスティノス 6
- ウァレリウス・マクシムス 9
なぜポルトガル語辞典・・・。