The Emergence of a Scientific Culture: Science and the Shaping of Modernity 1210-1685
- 作者: Stephen Gaukroger
- 出版社/メーカー: Oxford University Press, U.S.A.
- 発売日: 2009/01/15
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- Stephen Gaukroger, The Emergence of a Scientific Culture: Science and Shaping of Modernity, 1210-1685 (Oxford: Clarendon Press, 2006), 11–43.
先日科学革命が初期近代に起こったという想定がもはや通用しなくなってきていると論じた論考を紹介しました。その際アダムさんに
確かに、古典的な科学革命史観(?)への反省がこの二十年くらいあったというのは事実だと思うのですが、最近の C. Wilson とか Gaukroger の仕事からすると、「近代性」(モダニティー)の基盤を考えるという形で、従来と同じではないにしても(煎じ詰めると)「単一の17世紀科学や単一の科学革命という考え方」への回帰、あるいは十七世紀の「数学的物理学」の隆盛の認識論的・文化史的背景の再考が始まっているのではないでしょうか。
という指摘をしてもらいました。そこで今日はここで名前が挙がっているGaukrogerの大著『科学的文化の出現』の最初の章から彼の問題の立て方を紹介します。
ヨーロッパの初期近代に出現した「科学的文化」の最大の特徴は、科学というものに体現されている価値観が特権的な地位を占めるようになったことにあります。たとえばその無私に真理を探求する姿勢は人間の倫理の基盤になるべきだとか、科学的価値こそがファシズムや共産主義やマッカーシズムに対抗することを可能にするとか、哲学的な議論は科学的なそれに取って代わられるべきだとか主張されるようになりました。
このような特権性を科学が獲得したのは、初期近代に科学革命が起こったからです。ここで科学革命というのは、単に科学探求において目覚しい成果が上げられたということを意味するのではありません。そのようなことはすでに他文化圏でも起こっていました。ヨーロッパの科学革命が特異なのは、科学が従来のような数多くの活動の中のあくまで一つという地位を脱して、それが文明の主要な関心事となり、その後の連続的な発展が可能となったことにありました。反対に中国やイスラム文化圏では、一時的に科学が発展したとしても関心のあり方が推移すれば、求心力を失い停滞期に入るということが繰り返されました。したがって西洋の特異性を理解するためには、単に初期近代に大きな成果があがったことを確認するのでは不十分で、なぜその時期に科学活動がその後強固に維持継続されるようになったかを明らかにせねばなりません。
その理由として科学が宗教から自立し、自律性を獲得したということがしばしばあげられます。しかし実際には初期近代の科学活動は宗教から自立するどころか、キリスト教からその重要な推進力を得ていました。また18世紀以降価値体系としてのキリスト教の地位が掘り崩されることは確かだとしても、それは科学の側からと言うより、むしろ聖書学、歴史学の側からもたらされたものでした。しかもたとえばアメリカのように新たに成立する福音主義が科学研究から推進力を得ていた場合もあり、つまるところ科学と宗教が切り離されると近代、というような単純なモデルは立てられません。
もう一つは西洋に伝統的な制度的背景と方法論的特徴が、科学の発展を保証したのではないかというものです。Huffは中国、イスラム圏、西洋を比較した上で、西洋には大学に代表される中間的団体が多くあったことが、国家に権威が統合されていた中国や、学問活動が個人レベルで行われていたイスラム圏とは異なった点であったとしました。そのような中間的な団体が林立していたがために、そこで集団的で価値中立的な探求が行われるようになりました。また西洋には古代以来議論することで探求を進める伝統があり、これが中国とは著しい対比をなしていたし、イスラム圏の法学解釈の伝統とも異なる特徴を有していたとされます。この議論重視の姿勢が科学発展に寄与したとされるのです。
しかしよく考えて見るなら、Huffが中間的団体の典型として挙げている大学は科学革命期の主要な知的革新が起こった場所ではありませんでした。むしろその時代の成果の多くは有力者の庇護を受けたものたちによって行われていました。このようなパトロンの存在は他文化圏でも認められるものです。またそのような科学革命の担い手たちが最も忌み嫌ったのは論争的な探求の仕方でした。それはスコラ学を象徴する手法であり、そこから離れることでしか新たな成果は生み出されないと彼らは考えていました。その成果もまた価値中立的なものではなく、それが人間の生活にとって有用であるということが再三再四強調されていました。これに対して新科学は有用ではなく、思弁的で役に立たないという批判も呆れるほど繰り返しなされていました。実際に初期近代以降科学的成果が実生活に生かされる局面というのはそれほど多く見られたわけではありません。
制度的背景や方法論的特徴が西洋での科学の持続的発展を説明できないとするなら、何を考えるべきでしょうか。科学革命を他文化で見られた科学の発達段階と決定的に区別するのはなんなのでしょうか。このことを理解するためには時計の針を中世まで巻き戻し、アリストテレス哲学が流入した局面から見ていかなければならないと著者はしています。