中国の優勢の要因 ニーダム「東と西の科学と社会」

文明の滴定―科学技術と中国の社会 (叢書・ウニベルシタス)

文明の滴定―科学技術と中国の社会 (叢書・ウニベルシタス)

  • ジョゼフ・ニーダム「東と西の科学と社会」『文明の滴定 科学技術と中国の社会』橋本敬造訳、法政大学出版局、1974年、219–250ページ。

 なぜ近代科学は西洋でのみ生まれ、中国(やインド)では生まれなかったのか(ニーダム・クエスチョン)。この問いと表裏一体をなすもう一つの問いは、なぜ紀元前1世紀から紀元後15世紀のあいだまで、西洋文明より中国文明のほうが自然知識の実用的活用をより効果的に促進したのかというものです。この問いに答えようとする論考を読みました。謎を解く鍵は中国に特有の官僚制的封建制にあります。巨大な水利事業を展開する必要があった中国では、権力が集権化し、集権化した権力を効果的に行使するための官僚制が発達しました。この官僚制は世襲的なものではなく、科挙という能力試験によって選抜されます。こうして軍人でも商人でもなく、学識者たちが最も高い地位を占める中央集権的体制が築かれました。この体制が科学研究に援助を与えます。

 体制以外にも、中国での科学技術研究を促進した要因がありました。それは不為(ウー・ウェイ)の思想です。これは物事の本来的な性向に逆らわずに、それに従うことにより益を得るという不干渉を旨とする行動原理でした。政治的水準でも実践されたこの思想は、自然探求においても効果を発揮します。自然に本来的に含まれる力の源泉に干渉することなく利用しようとする志向は、磁気や潮の満ち引きという遠隔作用に関連する領域での知見を生み出しました。

 しかしこれらの要因は強みであると同時に弱みでもありました。官僚制は蓄積した資本を産業企業に充てることを禁じました。それは官僚たちの至上権を脅かすものを生むと恐れられたからです。近代資本主義の発展は抑止されました。資本主義の発生と近代科学の誕生は軌を一にしているので、この抑止は近代科学の勃興をも妨げたと思われます。不干渉の思想もまた近代科学を生み出すには至りませんでした。

この世界観は重商主義的精神を文明の主導的地位として認めることはできなかったから、高度な職人の技能と、学者たちがつくりだした数学的・論理的な推論方法とを融合することができず、したがって、近代自然科学の発展におけるダ・ヴィンチ的段階からガリレオ的段階への推移は達成されず、おそらくそれは不可能であったであろう。(244ページ)

 どのような要因を想定するにせよ、初期段階における中国文明の優越とその後の西洋の凌駕に関する説明は、各文明の社会的、知的、経済的条件と結びつける形でなされなければなりません。そうでなければ歴史家は近代科学の成立を純然たる偶然性に帰したり、ヨーロッパ民族の優越性という人種的偏見を想定する地点へと追い込まれてしまうでしょう。