職人たちの黙示録 水野『イメージの地層』

イメージの地層 -ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言-

イメージの地層 -ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言-

  • 水野千依『イメージの地層:ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』名古屋大学出版会、2011年、591–640頁。

 大著『イメージの地層』のなかから第5章第3節「予言文化の終息とその残響:サン・マルコ大聖堂とフィオーレのヨアキム」を読みました。とある異端審問の記録から浮かび上がってくるモザイク画とその解釈を検討することから、16世紀のイタリアの予言文化の実態を探るものです。

 1573年の終わりごろ、俗語版聖書を集まって読み、堕落した解釈を行っているという容疑で職人たち5人がヴェネツィア異端審問所に告訴されました。彼らは前年の1572年夏に同市のサン・マルコ大聖堂で「ヨハネ黙示録」の「また、天に大きな徴が現れた。ひとりの女が身に太陽をまとい…」という部分(12:1–5)について議論を行っていました。ここで興味深いのが彼らがその際に、聖堂にあった巨大なモザイク画を参照しながら解釈を行っていたことです。実はこのモザイク画は問題の箇所を含む「ヨハネ黙示録」の諸々の場面を描いたものでした。

 ではこのモザイク画とはどのようなものだったのか。これは1560年頃からズッカート兄弟によって製作されていたものです。ただしその図像案を最初に誰が考案したのかはよくわかっていません。しかし同種の場面を描いた他のモザイク画との比較から、サン・マルコ大聖堂のそれが、「善悪の戦い」を強調するような独自の着想を示していたことが分かります。特に黙示録の12章にある龍が図像化された箇所は、オスマントルコを龍であらわす伝統の上に立っていることをおそらくは示しており、16世紀に高まるトルコへの危機意識をよく反映しています。もうひとつ重要なのが、サン・マルコ大聖堂が16世紀にいたるまでに「教会の調度全体が[フィオーレの]ヨアキムに関連づけられる宗教的政治的予言の織物と化していた」ことです。ここに黙示録を含む巨大な終末論的モザイク画が創造されたということは、それがオスマントルコとの避けられない決戦への見通しから高揚した危機意識の産物であったことを示しています。

 この絵をやはり職人たちも終末論的に解釈していました。彼らはとある甲冑職人が書いた書物やユダヤ人たちの交流から解釈を紡ぎ上げ、黙示録の記述はオスマントルコとルターを打ち負かして世界を唯一の信仰に導く総督が現れることを予言したものだと考えるにいたりました。しかもこの総督は単に待望されていただけでなく、具体的な人物がこの総督となることが期待されていました。それはフランス王につかえていたプリウリと同定することができます。

 審問の結果、1人が無期懲役となり、残り4人は広場に晒し台に立たされその後放免されました。罪状は「禁じられた俗語聖書を読み、無知ゆえに聖書の事柄に向こう見ずにも抗おうとしたため」。しかしその抗いは、16世紀の予言文化のなか着想されたモザイク画とそれが描いている黙示録の(イタリア語の)記述を、トルコとルターを滅し唯一の信仰へと自分たちを導く総督プリウリを予言するものとして読むという、職人たちの「はかない期待」の拠り所だったのです。