マルキオンにおける悪 津田「マルキオンにおける質料と悪」

 ずっと読みたかった論文を著者の方に送っていただくことでようやく手に入れることができました。ツイッターはこういう出会いがあっていいですね。2世紀に活動したキリスト教徒マルキオンは当時のグノーシス派と同じく、独特の創造論を展開していたことで知られています。彼によれば新約聖書の神である至高神とは別に、旧約聖書の神である創造神というものがいて、この後者の神が今ある世界をつくりました。この後者の神がつくった世界の中で苦しむ人間たちを救うために至高神が世に遣わしたのがイエス・キリストです。ここで面白いのは、マルキオンの考えでは至高神というのは創造にまったく関わっていないので、ぶっちゃけ人間となんの関係もありません。なんの関係もないのになぜこの神は救ってくれるのか。分からないのか?愛だよ、愛。この(人間にとって本質的に)異邦の神による愛がキリストの教えの根幹なんだ。こんなふうにマルキオンは説いていました(これについては筒井賢治『グノーシス』をどうぞ)。

 というところまでは教科書的な知識で、ここからがこの論文です。マルキオンによれば、創造神は世界をつくりだすときに、もともとあった質料を素材として用いました。この質料は彼によって悪であるとされています。質料が悪という考えは古代ではストア派も、中期プラトン主義者もとっていなかった学説です。また同時代のグノーシス派の一つであるヴァレンティノス派も、質料に否定的な性質を帰していてこそすれ、それを悪とまではみなしていませんでした。質料を開くとみなす見解が見られるのは、2世紀後半に活動した新ピュタゴラス主義者のヌメニオスでした。「摂理が存在しているにも拘らず、悪もやむを得ず存立している。それは、材料が存在するからであり、また材料が悪を備えているからである」。

 このヌメニオスの見解がマルキオンの質料を悪とする見解を解釈するヒントを与えてくれるのではないかと筆者はしています。ヌメニオスもまた(マルキオンとは異なる文脈で)第一の神と世界を創造した神をわけていました。しかし彼は同時に質料を悪とすることで、第一の神は言うに及ばず第二の神も悪から切り離すことに成功しています。同じようにマルキオンもまた悪の原因を質料に帰すことで、創造神を悪から切り離すことを試みたのではないか。実際マルキオンの学説が次のように正統多数派の教父に紹介されています。

そのようにしてこの神[創造神]は、人間が罪を犯すまでは最初、ただの善き者であったが、それ以来裁く者であり、厳格で、マルキオン派がそう望んでいるように、残酷である。

創造神は当初はそもそも善であるものの、質料に原因を持つ悪がこの世に姿をあらわした時点で(堕落)、それを裁く神となった。この裁きから人間を救済するのが至高神の息子たるイエス・キリストである。こうしてマルキオンの世界観においてなぜ質料が悪とされたかが理解されるというわけです。

 少し補足を。ヌメニオスは悪の原因を質料とする解釈をプラトンから引き出していました。彼は伝統的に悪しき世界霊魂の存在を措定しているとされてきた『法律』の記述と、『ティマイオス』にあるデミウルゴスが秩序を与える以前はすべてが「調子外れに無秩序に動いていた」という記述を組み合わせました。そこから彼は悪の原因というのは悪しき世界霊魂であって、それは質料なのだという結論を引き出したのです。この意味でヌメニオスの見解はアッティコスやプルタルコスという中期プラトン主義者の学説の延長線上にあるものとしてとらえられます。

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