『存在の大いなる連鎖』を超えて Mahoney, "Lovejoy and the Hierarchy of Being"
- Edward P. Mahoney, "Lovejoy and the Hierarchy of Being," Journal of the History of Ideas 48 (1987): 211–39.
ラブジョイの『存在の大いなる連鎖』を受けて、存在の階層構造論をさらに深く考究した論考である。同じ著者による "Metaphysical Foundations of the Hierarchy of Being" の縮約版となっている(関連記事参照)。具体的な学説の分析は長い方に任せるとして、ここでは著者のラブジョイ批判を簡単にまとめておく。
『存在の大いなる連鎖』が抱えている問題の一つは、単一の原理からその他すべての存在が流れでるといった観念や、連続性の原則(存在の階層の一つ一つのあいだに隙間はない)を、プラトンとアリストテレスに直接帰そうとする傾向である。実際にはこれらの観念や原則は新プラトン主義者たちにいたるまで定式化されていない。新プラトン主義者たちのうちでも、ラブジョイが注目するのはプロティノスと偽ディオニュシオスに限られている。中世から初期近代にかけて大きな影響を持ったプロクロス『神学要綱』や『原因論』はほぼ言及されない。最後にこれらの著作に言及しなかったことにより、ラブジョイは中世から初期近代にかけての存在の階層構造論の焦点の一つを見落とすことになった。それは存在連鎖の最上にある神、ないしは最下層にある質料が、はたしてその他すべての存在の尺度となりうるかどうか。なりうるとしたらそれはいかにしてか、という問題である。ラブジョイがこれをみなかったのは、彼が存在の大いなる連鎖の問題を、17世紀と18世紀の側から見ていたからだと考えられる。これらの時代においては神と質料の両極が尺度となりうるかという問題はたしかに問われなくなっていたからである。
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