17世紀哲学の制度的基盤 Tuck, "The Institutional Setting"

The Cambridge History of Seventeenth-Century Philosophy 2 Volume Paperback Set

The Cambridge History of Seventeenth-Century Philosophy 2 Volume Paperback Set

  • Richard Tuck, "The Institutional Setting," in The Cambridge History of Seventeenth-century Philosophy, ed. Danial Garber and Michael Ayers (Cambridge: Cambridge University Press, 1998), 9–32.

 17世紀哲学の制度的基盤を論じた基本的論文を読みました。1600年のエルベ川以西の欧州というのは、6000万人の人が住み、そのうちイングランドに400万人、フランスに1900万人、ドイツ諸州に1200万人、スペインに700万人、オランダ(現オランダとベルギー)に300万人がいました。男性の6割から7割程度は読み書きできず、女性は9割以上がそうでした。しかし大学進学率は高く、1630年代のイングランドでは同じ年齢の男性のうち50人に一人が、1500年代の最後の25年のスペインでは30人に一人が進学していました(これはイングランドの1950年代の数字と同じ)。これが意味するところは、読み書きが出来ない人間が非常に多い一方で、一度読み書きの技術を身につければ高等教育を受ける可能性は相当高まったということです。

 1600年代に活躍した著名な哲学者には、貧しい生まれの者が少なくありません。もちろん、デカルトやボイルのように貴族の家系の者もいました(ボイルの家には大量の使用人がいて、中には一日4ペンスで草むしりをする女性までいた)。しかしガッサンディメルセンヌの親は農民でしたし、靴直し職人の息子カンパネッラにいたってはあまりに貧しいために学校の窓の外にたって授業を聞いていたほどです。ボイルのように職につかなくてもなんの問題もない人物は少数で、彼らは食べていくための方策を講ずる必要がありました。たとえばメルセンヌは教会で食べていましたし、ガッサンディもまた教会、そして一時期は大学で講義をすることで生計を立てていました。しかし17世紀の著名な哲学者の多くは教会にも大学にも属さず、秘書をしたり家庭教師をしたり図書館司書をしたり貴族の助言役をつとめて暮らしていました。彼らの多くが妻も子どもも持っていないのはこのような有力者に寄生する生活形態のためです。中にはスピノザのようにレンズ磨きをして暮らしていた人もいますが、さすがにこれは例外。

 17世紀の著名哲学者の多くは大学外で活動していたものの、彼らの多くはやはり大学(かそれに何らか類する場所)で一度は教育を受けていました。この時代の大学教育で起きていたもっとも大きな変動は、従来はかなり教育が進んだ段階で学ぶことになっていた内容をよりはやい時期に学ばせるというものでした。これにはいろいろな事情がありました。たとえば宗教改革以後神学者を素早く大量に産み出していきたかったプロテスタントカトリック両派にとって、伝統的な北ヨーロッパの大学で行われていた7年学芸学部で学んだのちにはじめて神学の学習に入るという制度は効率が悪く、また教育コストもかかるとみなされました。そのためアルプス以北では教育モデルがスペイン(ここでは中世以来早い段階で進んだ内容の哲学を教えることが行われていた)に近づくことになりました。スペインのサラマンカ学派の書物が広く用いられたのは、このスペインモデルへの接近が背後にあった可能性が高い。

 一方フランスやスペインでは哲学教育の中心が大学から、各種学院に移りました。デカルトのように10歳くらいで学院に入って、18歳のときにもしその学院が大学と提携していれば修士号をとるということが行われました。中世では20代後半にならないと修士号は与えられなかったのとは対照的です。特にスペインでは法学者の需要が高かったため、学院ですばやく哲学の教育を終わらせて、なるべく若いうちに大学の法学部に入るというコースが確立しました。このことがスペインの17世紀哲学の不調を説明するために引き合いに出されることがあるものの、この事情はフランスのそれとさほど変わりません。両国の事情の違いはむしろ、リシュリューのような多様な知的活動を保護する人物がいたフランスと、専門的で官僚的に訓練された法学者の登用を好んだスペインという対比で理解されるべきでしょう。イングランドでも学芸学部の7年構造こそのこったものの、やはりはやい年次から専門的なことが教えられ、学芸学部後半からは神学の内容が講義されるようになりました。

 大学での教育の後の哲学者たちの活動の中心は新たに設立されたアカデミーでした。イタリア、フランス、イングランドのアカデミーはすべて国家からの保護をえています。この利点の一つは金がもらえるというものでしたが、ロンドン王立協会のように一文ももらえない場合もありました。この他にあった大きな利点は国家の認可を得ることで、書簡のやりとりを検閲される危険性が減少するということ(当時の書簡は今よりはるかに公共的意味合いが高かった)、そして死体を解剖できるとういことでした。このような学会と並んで、エルゼビアのような新進気鋭で貪欲なオランダ出版社が台頭して出版の販路が広がったことで、大学外の哲学者が新たに開拓された経路を通じて自らの思想を広めていくことが可能になりました。

補足

 読み書き能力についての推計は以下の2冊の書物によっているとあります。

The Legacies of Literacy: Continuities and Contradictions in Western Culture and Society (Interdisciplinary Studies in History)

The Legacies of Literacy: Continuities and Contradictions in Western Culture and Society (Interdisciplinary Studies in History)

Literacy in Early Modern Europe

Literacy in Early Modern Europe

 人口推計はこちらから。新版が5月に出るようです。

A Concise History of World Population

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