西欧中世史〈下〉―危機と再編 (MINERVA西洋史ライブラリー)
- 作者: 朝治啓三,服部良久,江川温
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 1995/11
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14, 15世紀の教皇権をめぐる動向を追った論考を読みました。1305年に教皇に選出されたクレメンス5世は、選出地のフランスからイタリアにおもむくことをせず、1309年にアヴィニョンに入りました。これをフランス王による教皇のアヴィニョン捕囚ととらえられるかは疑わしいものの、いずれにせよ以後1376年までのあいだ教皇庁はアヴィニョンに置かれることになります。この南仏の教皇庁は領土の拡張と組織改編に成功することで、1000人を超えるスタッフが流通する巨額の財の管理をする巨大な統治機構となります。
しかしイタリアにおける教皇領の確保はイタリアへの教皇帰還への待望を増大させ、1376年末に時の教皇グレゴリウス11世はアヴィニョンをたちローマへ向かいました。78年にグレゴリウス11世が死ぬと、イタリア人教皇ウルバヌス6世が選ばれます。しかしフランス人枢機卿は79年に対立教皇クレメンス7世を選出し、アヴィニョンに拠点を構えました。分裂(シスマ)のはじまりです。各教皇がそれぞれの正統性を主張しながら教会政治に携わり、そのそれぞれに世俗国家の支持が加わるという状況が生まれました。これに加えて1409年にはフランスとイングランドの国王の支持を背景に、ピサで公会議が開催され、そこで第三の教皇アレクサンデル5世が選出されました。彼はドイツ皇帝の指導をうけ、分裂収束のための高会議開催を模索し、1414年他の2人の教皇もまた認めるところの公会議がコンスタンツで開かれました。
コンスタンツ公会議にはピエール・ダイイ、ジャン・ジェルソン、ディートリヒ・フォンニーハイム、ザバレラらの大学に所属する学者たちが参加し、公会議の意志に教皇もまた服従すべきという公会議至上主義の理論化を行いました。16年の議決では公会議の議決を教会の意志であるとして、教皇至上主義が否定されました。最終的には1417年に教皇位が統一されてマルティヌス5世が選出されます。この後公会議は拠点をバーゼルに移し、フス派を巡る問題で教皇の合意を得ずに教会としての解答をあたえるなど存在感を示すこともあったものの、教皇権への信頼の回復とともに勢力を弱体化させ、1449年にバーゼルの拠点が消滅することになります。ここに35年間に及ぶ公会議時代は幕をおろしました。
14世紀から15世紀にかけて教会の霊的権威は挑戦を受けていました。ウィクリフとフスの運動だけでなく、救済が個人的な体験と深く結びつくことで、教会による霊的権威の独占がままならなくなっていました。公会議での採択が国民(ナツィオ)ごとに行われたことは、教会の普遍性の解除をうながします。また教皇庁による領土の拡大は世俗権力との争議を招きます。機構改革による官僚制度の整備は、集中化の弊害に敏感に反応した公会議主義を生み出しました。この後新たに復権する教皇権は中世的な政治感覚とは異なる原理に基づいて行使されることになります。
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