異端論の脱法学化 将基面「ウィリアム・オッカムと中世ヨーロッパにおける異端の概念」

  • 将基面貴巳「ウィリアム・オッカムと中世ヨーロッパにおける異端の概念」鷲見誠一、千葉眞編『ヨーロッパにおける政治史思想史と精神史の交叉 過去を省み、未来へ進む』慶應義塾大学出版会、2008年、89–110ページ。

 ウィリアム・オッカムが異端理論にもたらした革新を論じた論考です。13世紀の初頭から教会は異端の摘発を強化しはじめます。従来の弾劾主義にかえて糾問主義を採用した異端審問制度を創設し、異端者(とみなされた者)の効率的摘発にのりだしました。この迫害圧力の高まりは大学にもおよび、神学研究が思想検閲の対象となります。とくに13世紀末からは大学内で勢力を伸ばす托鉢修道会に脅威をおぼえた教区司祭教授たちが、托鉢修道会の清貧理念の正統性に疑義を示すことにより、いわゆる「清貧論争」が起こりました。14世紀前半には教皇ヨハネス22世がフランシスコ会の清貧理念に異端宣告を下します。これに抗して逆に教皇こそ異端であるとの論陣をはったのがウィリアム・オッカムでした。この過程で彼は中世最大の異端理論書を著します。

 そこでのオッカムの狙いは、教会(教皇)が統括する異端審問裁判手続きに沿うかたちで理解されていた異端論を法学的枠組みから解き放ち、もっぱら神学における理論的問題に引き寄せることでした。異端的命題というのは聖書やその他のキリスト教関係の史料に反すると証明された見解のことである。よってその基準は教皇の宣告ではなく、もっぱら論証可能性にある(よって教皇も異端者たりうる)。異端者の特徴である「頑迷固陋」というのも、そのような異端的命題を故意に唱えていることを意味する。教会の裁判で教皇が異端とみなした命題を、いさめられているにもかかわらず唱えつづけたというのが「頑迷固陋」の意味ではない。こうしてオッカムは異端的命題と異端者の認定を、文書に照らしての論証可能性と、そうして異端が論証された命題のそれと知りながらの提唱という理論的問題に回収しました。教会はもはや信仰の正統性を創造する権限は持たず、理論的に認定された異端者に信仰を強制することができるのみとなります。