自然誌家たちの協力と反目 ロンドレとゲスナー

 16世紀中頃に出された2つの自然誌著作を読み、そこで実践されている情報収集・処理について考えよという課題が出されました。題材はギヨーム・ロンドレの『海の魚について』と、コンラート・ゲスナーの『動物誌』です。

 医師であり1551年からはモンペリエ大学で医学教授をつとめていたロンドレ(1507–66)は、1554年に『海の魚について』(リヨン)という書物を出版した。この本はその次の世紀にいたるまで魚類学の標準的な参考書として使用されることとなる。ロンドレによれば魚のヒストリアというのは、それについての古代人の記述は現在正しく理解されておらず、また近年の著述家によっては正しく説明されていないような領域であった。

 本書のいくつかの箇所でロンドレは自分がいかに情報を収集していたかを語っている。黒ボラと彼が呼ぶ魚の項目では、ポルティウス(Portius)という人物が黒ボラの絵を提供してくれたと語っている。なぜなら「誰から恩恵を受けたかということを告白することは自由で才能ある者にふさわしいことだから」。またドナウ川で収集した魚についての情報を共有してくれたことにたいして、ゲスナーにも謝意をあらわしている。反対にロンドレは、ピエール・ブロンらが図版や情報を盗用したとして激しく非難した。

 いくつかの項目では、ロンドレは提供された情報の修正を試みている。ライオンのような怪物に関する報告でロンドレは、情報提供者であるローマ在住のGisbertus Horstiusからの報告を信じて、その存在は疑っていない。しかし彼はその図版は実物から何かが抜き取られ、何かが足されたのではないかと考えている。たとえば肺呼吸をし、骨がある動物には鱗がないはずなのに、図版では鱗がついている。これは絵師が勝手に鱗を加えたのではないかとロンドレは推測している。同じようにあたかも修道士の服を来ているかのような魚についての絵をGisbertusから提供されたときも、ロンドレはなにが真実ではないことが絵師によって加えられていると考えた。報告者の誠実さを信じながら、絵師の忠実さは疑うということをロンドレが繰り返し行なっていることがわかる。

 ゲスナーが1558年に出した『動物誌』の第4巻では、ロンドレが『海の魚について』で取り上げたのと同種の魚が多くとりあげられている。そのなかには修道服を着た魚や黒ボラも含まれている。修道服魚についてのゲスナーの記述にはロンドレからの逐語的引用が多く含まれている。それ以外にもブロンやギリウス(Gillius)からの引用が見られる。アン・ブレアによればゲスナーは印刷された本から重要だと判断した箇所を切り取って収集保管していた。もしかするとロンドレからの引用はこの切り取られた断片を使って行われたのかもしれない。

 ブレアによれば、情報を編集する者たちは過去のレファレンス書に依存するだけでなく、同時代の人々とも情報を共有してお互いを助け合っていた。ロンドレとゲスナーの著作からは、当時の自然誌家たちのあいだにあった協力・依存関係がよくうかがえる。同時にブロンに対するロンドレの激しい批判からは、自然誌家たちがライバル関係もまた形成していて、情報の無断利用にはひときわ敏感であったことがわかる。